【初心者歓迎】俳句フォトの会 会員申込はこちら

季語木蓮

(もくれん)[春]

春、葉に先立って大きな花を咲かせる木。白や紫の花をつける。

言い換え(傍題):白木蓮

この季語の俳句フォト:3句

← 俳句フォト歳時記へ

俳句フォトエッセイ

近寄れば白木蓮の命かな

いつもの白木蓮だが満開だった。「命がたぎる」かのようだ。通るたびに、白木蓮を立ち止まって見る。数週間前には硬い蕾だった。1週間ほど前に花びらが僅かに開き始めた。そして、今日のこの勢い!命に元気をもらったような気分になった。植物と花は大昔から一体のものだと思っていたが、違うらしい。花は、植物の発明品なのだという。地球上、最初の花は今から約1億2500万年前のジュラ紀と呼ばれる時代に生まれたと言われる。思いの外新しい。昆虫に蜜を提供する代わりに、花粉を運んでもらう、その目印が花である。それは自力ではなくて、他力で生きるという考え方だ。種の生存を他に預ける。実に大胆である。

俳句フォトエッセイ

うねうねと花芽伸ばしぬ紫木蓮

前にも書いたが、ぼくは毎週この道を通って妻が世話になっているグループホームに通う。この紫木蓮は瀟洒な住宅の庭にある。つい先日、毛むくじゃらの花芽が姿を見せたかと思ったら、もう花が開き始めた。季節の移ろいは早い。紫木蓮で思い出すのは、鈴木真砂女の句だ。戒名は真砂女でよろし紫木蓮紫木蓮が坊主の袈裟を思わせる。取り合わせの傑作だ。考えてみれば、我が家も戒名に無関係だ。父の小山正孝の戒名はない。母の常子の戒名もない。それどころか、仏壇もなければ位牌すら無い。葬儀は葬儀社を通して禅宗の僧侶に頼んだのは、正孝が禅というものに興味を示していたからに過ぎない。

俳句フォトエッセイ

木蓮の淡き毛深き芽立ちかな

この木蓮は、妻がお世話になっているグループホームの近くにある。面会に行くたびにこの木蓮の前を通る。認知症を患っている妻をホームに入れてから二年半に近い。(詳しくは、句集『大花野』朔出版刊参照)コロナ下であったが、ほぼ毎週ホームに行き、妻に会うことができた。従って、木蓮とも毎週お目にかかった。芽吹き、花が膨らみ散っていく。木が緑になり、大ぶりの葉に覆われた。夏には葉が黒く焼き焦がれた。あまりの猛暑のためか、それとも台風による塩害か。やがて冬になる。葉は散るが、枝の先に花芽が既についている。春に向かって、その花芽が次第に大きく太っていく。木蓮の花芽の特徴は産毛が生えていることだ。