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江東区教育委員会

俳句フォトエッセイ

招かれて俳句の授業百千鳥

今年度も終わりに近い。江東区教育委員会を退職して、まる3年になる。にも関わらず、各地の学校から「俳句の授業に来てほしい」との声をかけてもらえる。実に嬉しいことだ。中には「先生の授業を若い先生に見せたいから」というものもある。自分で言うのも何だが、最近は子供と触れ合う「呼吸」が、自然になってきたと感じる。しかし、若い時はそうではなかった。学級経営がうまくいかず、学校を辞めたいと思ったことも一度や二度ではない。学級崩壊状態に陥り、気が変になりそうになったこともある、それがどこで変わったのか。自分でもよくわからない。しかし、管理職になって考え方が変わったのが大きいとぼくは思っている。

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少しでも役に立てれば半夏生

江東区教育委員会主催の「俳句教育研修会」が行われた。この会は以前にもあり、ぼくも講師を務めていたが、コロナで消滅してしまった。それを復活させたのは、深川芭蕉俳句大会を支える神明宮の内野宮司さんだった。教育長に直談判したのだ。復活して3回目、どういう訳か、俳人の堀本裕樹さんとぼくが二人で講師を務めることになった。堀本さんとは古い縁だ。同じ結社に在籍していたよしみから、江東区での俳句の授業を手伝ってもらったこともある。まだ、彼が俳人協会の新人賞をとる前だった。教室では、ぼくは彼を「俳句の王子様」と紹介したが、堀本さんは、今や俳句界における本物の王子様になっている。参加者は約70人。

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この先は進入禁止五月尽

明日から六月だというのに、寒い一日だった。半袖の子がいる一方、ダウンを着込んでいる人もいる。進入禁止の道路標識を見て「自分の人生で前を塞がれたことがあったか?」と振り返ってみた。高校の受験は一校だけ受けたが、無事に合格した。背伸びしなかったからだろう。大学も浪人せずに入学した。教師になるつもりもなかったのに、教育学部に入った。入りさえすればどこでもよかったのだ。授業には碌に出なかったのに、四年で卒業できた。最小限の単位しか取っていなかった。要領は良かったのだろう。それでも結局教師になり、24歳で結婚した。30歳で子どもが産まれ、45歳で教頭になった。50歳で校長になり、12年間勤めあげた。