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山田風太郎

俳句フォトエッセイ

ぼくたちはどう老いるのか月朧

信頼する友人から一冊の本を勧められた。高橋源一郎の『ぼくたちはどう老いるか』(朝日新書)である。早速手に入れて、読んだ。第1章では鶴見俊輔の『もうろく帖』が取り上げられている。老いは新たな体験であり、その先には死がある。そこに至る過程はどのようなものか。『もうろく帖』では本人の筆でそれが書かれている。しかし、「もうろく」してしまってもさらに死までの過程がある。それを本人が書くことは不可能だ。次の章で取り上げられているのは家族から見た老いと死である。吉本隆明の死に様。有吉佐和子の『恍惚の人』が紹介され、最後が私小説作家耕治人が認知症の妻とのことを死ぬ間際に書いた三つの小説である。

俳句フォトエッセイ

蕃茄(とまと)添へザクザク野菜炒めかな

蕃茄と書いて「とまと」と読むとは!歳時記を見て初めて知った。角川の歳時記に飯田蛇笏の次の句が載っている。白昼のむら雲四方に蕃茄熟る蛇笏買ってきたミニトマトがちっとも美味くない。「食えないな」と思ったが、野菜炒めに入れてみたら美味しかった。彩りも良い。最近、「少しでも自炊をしなくては」と思い始めている。もう古稀も過ぎたし、喜寿すら過ぎたのだからいつ死んでもいいようなものだが、まだ暫くは死ねない事情もある。父が亡くなったのは、86歳だった。これが目安だが、この夏に病院に行ってこの目標が微妙だということがわかった。一番の問題は腎臓だ。