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感泣亭例会

俳句フォトエッセイ

花の雨母の遺影と向かひ合ふ

母・常子は2014年3月23日に亡くなった。今年で13回忌のはずである。本来なら、お坊さんを呼び一族が集まって偲ぶところだろうが、我が家では何もしない。だいたい、戒名も位牌もないのだ。父からしてそうだった。その代わり、忌み日に「感泣亭例会」を開き、「感泣亭秋報」を発行してきた。それも18冊で終刊とした。母の遺影は卒寿のお祝いに自由が丘のレストランで家族で撮った写真からとった。穏やかな顔をしている。母は、父が亡くなってから、思い出を圓子哲雄さんが主宰していた『朔』に寄稿し続けた。この文章を妻の邦子がまとめ『主人は留守、しかし・・・』という本にまとめた。

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あの日より七年経ちぬ春の宵

2019年3月3日。雨が降っていた。比留間一成さんを偲ぶ会の写真である。話しているのは詩人の菊田守さんだ。比留間一成さんは詩人であるが、色々な顔を持っていた。陶芸家でもあり、本職は中学校の教師で、非行問題の権威でもあった。ぼくが比留間さんを知ったのは20代の頃だ。父の紹介で小平の自宅を訪れた。当時、比留間さんは練馬区教育委員会の指導主事だったと記憶している。関係が深くなったのは、ぼくが管理職になった40代後半以降だ。彼が関わっていた「日本基礎教育学会」の仕事を手伝い始めたからである。この会は都立研究所の幹部経験者で構成されていた。偉い人ばかりで下働きをする人間が不足していた。

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春夕焼またこの場所に来ています

散歩の続きである。「お店の人」というより、「家の人」という感じの女性に掛軸の由来を尋ねてみた。ご先祖がご商売をされていて、東郷家に出入りしていたような話をして下さった。この近くには「奥沢海軍村」というのがある。関東大震災の後、海軍省のある虎ノ門と横須賀の両方に行きやすいというので、海軍士官が住み始めたのがきっかけらしい。現在も当時の面影が残っているという。この地に東郷平八郎!ぴったりだ。ゆるい坂を下ると南国飯店がある。ここで一度小山正孝を顕彰する「感泣亭例会」を開いたことがある。現在のスペース感泣亭ができる前のことだ。南国飯店を見て、自由が丘に行くならあの場所に行かなくてはと思い出した。