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麻布小学校

俳句フォトエッセイ

薄暑めく東京タワー展望台

東京タワーの展望台に来ている。エレベーターで45秒だ。大型連休は終わったとは言え、相当な人出だ。目の前には高層ビルが林立している。麻布台ヒルズなどは見上げるほどの高さだ。スカイツリーは先っちょだけが見える。下を見たら懐かしい建物が見えた。港区立御成門小学校の校舎だ。ぼくは45歳からの5年間、毎日東京タワーを見て過ごした。最初の3年間は麻布小学校から、次の2年間は御成門小学校からである。御成門小学校は、桜小や神明小など6つの学校が合併して開校した。40年前としては、最新の設備を備えた学校だった。エレベーターはもちろんだが、全校児童を一堂に集められるランチルームもあった。

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花冷の地下鉄サリンの記憶かな

高市•トランプ会談がどのようになったか、気になってテレビのニュースを見ていたら、地下鉄サリン事件から31年目というテロップが現れた。「そうか、31年になるんだ」ぼくは、その時港区立麻布小学校の教頭職にあったことを思い出した。麻布小学校の最寄りの駅は神谷町。ぼくは、その朝も日比谷線の神谷町駅で降りて出勤していた。最も深刻な被害を受けてのは霞ヶ関だったが、神谷町駅も大混乱に陥った。1時間違っていたら、ぼくもこの事件の被害者になっていたかもしれない。なにしろ、死者14人、負傷者6000人以上に及ぶ未曾有の事件だったのだから。

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道端に両手広げた雪だるま

道端にまだ小さな雪だるまが溶け残っていた。手袋の両手を広げ、よく見ると目もちゃんとついている。ここは国分寺市だ。国立駅からバスで15分ほど。農地や雑木林も所々残っている。俳句の授業の要請があってここに来た。この年になって、こうした要請があるのは嬉しい。最初の雪の記憶は一枚の写真だ。父に抱かれたぼくが庭に作られた雪だるまの隣で笑っている。ぼくは病気で寝ていて、父に「雪だるまを作って」とねだったのかもしれない。そんな記憶がチラッとある。次は中学3年の時だ。都立高校の合格発表の日だった。受かっていた。学校に戻って、校庭で思い切り友達と雪を投げ合って遊んだ。

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天高し品格のある麻布の子

45歳で教頭として赴任した麻布小学校で学んだことは、山のようにあった。平の教員の時には好き勝手に発言し行動すれば良いが、教頭となるとそうはいかない。お殿様である校長先生の意図を読み取り、実現のために動く家老のような存在。それが教頭の立ち位置である。「区の研究指定校を受けたい」指定校を受ければ、仕事が大変になる。先生方の多くは反対する。当時の学校はまだまだ組合の力も強かった。説得し、抑え込み、できるだけしこりを残さずに実現するのが教頭の腕ということになる。「品格ある麻布の子」というのは、麻布小学校の昔から伝統的な校訓だった。

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秋霖にか細き東京タワーかな

久しぶりに六本木に出た。懐かしい。昔を懐かしむのは老いた証拠だろうか。ぼくは、45歳から47歳までの3年間飯倉交差点脇にある港区立麻布小学校の教頭を務めた。丁度オウムによるサリン事件があった頃だ。六本木の街の雰囲気は昔と同じだ。交差点のアマンドはそのままだし、和菓子の青埜もそのまま残っている。青山ブックセンターは名前を変えて健在だ。しかし、麻布警察署は姿を消していたし、六本木の象徴と言えるロアビルはそろそろ閉鎖に向かって動いているようだ。六本木には日本初と言われるハンバーガーの店「ザ•ハンバーガーイン」があったがストレッチの店に変わっていた。何より変わったのは麻布台ヒルズである。

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一本の電話線より夏つばめ

妻とグループホームで面会している最中に電話があった。Mからだ。Mとの付き合いは30年を越す。ぼくが港区の麻布小学校の教頭になった時に、Mは隣の学校の教頭だった。歳はぼくより1歳若いが、教頭としては先輩だった。どういうわけか気が合った。それに彼の奥さんとぼくは江東時代に一緒の学校に居て、同じ学年を組んでいたという縁もあった。地区の教頭会の仲間で、京都に旅行に行ったこともある。ザラメを敷いた関西風のすき焼きを一緒に食べた。金沢に行った時は、生の蟹にかじりついた。彼は、早く昇任し学校も移ったので10年以上疎遠だった。その彼と江東区でまた一緒になった。退職してからも、付き合いは続いた。