俳句フォトエッセイ2025.06.28梅雨空を裂きて全国交流会小山正見新型コロナウイルス感染症の拡大という悲劇がなければ、これほどリモートの活用は広がらなかったであろう。「全国学校俳句指導者交流会」を先日リモートで実施した。主催は日本学校俳句研究会である。参加者は全国から約35名。いずれも各地の学校や地域で子どもの俳句指導の中心になって関わってる面々である。関東だけでなく、鹿児島や島根、京都、大阪などからも参加者があった。顔を合わせたこと、そのことそのものが画期的だ。報告者は、東京都葛飾区の植木先生、大分県大分市の金澤先生、東京都江東区の吉田先生、岐阜県大垣市の高木先生、そして埼玉県狭山緑陰高校定時制の山本先生の5人にお願いした。報告時間は一人10分と設定したが、それぞれが1時間分の報告を10分に凝縮したような中身が濃いものだった。植木先生は、子供が社会的に褒められることの意義を強調された。金澤先生は小学校での俳句クラブの活動について、高木先生は幼児から御年寄までの俳句活動の段階について話された。更に吉田先生は、俳句を読むことの大切さを、山本先生は1枚文集を活用した独創的な俳句指導について報告した。内容について、ここでは立ち入らないが、気になる方がおられたら連絡をいただければ資料などをお送りすることも可能である。報告後の議論は多岐に渡ったが、僕は山本先生の「僕はいい句という表現は使わない。気になる句と言う」との発言に強く惹かれた。コンクールをすれば特選の句もあるし、一次予選で姿を消す俳句もある。しかし、それはどちらが良いと比較できるものだろうか。子供の句の中にそれぞれの子供の良さを発見することこそ俳句教育の原点であるとすれば、普通の子供の普通の俳句を目を注がなければいけないことを痛感させられた。2時間弱の会合であったが、中身は濃かった。子供俳句の起爆剤になればと願っている。
新型コロナウイルス感染症の拡大という悲劇がなければ、これほどリモートの活用は広がらなかったであろう。
「全国学校俳句指導者交流会」を先日リモートで実施した。主催は日本学校俳句研究会である。
参加者は全国から約35名。いずれも各地の学校や地域で子どもの俳句指導の中心になって関わってる面々である。
関東だけでなく、鹿児島や島根、京都、大阪などからも参加者があった。
顔を合わせたこと、そのことそのものが画期的だ。
報告者は、東京都葛飾区の植木先生、大分県大分市の金澤先生、東京都江東区の吉田先生、岐阜県大垣市の高木先生、そして埼玉県狭山緑陰高校定時制の山本先生の5人にお願いした。
報告時間は一人10分と設定したが、それぞれが1時間分の報告を10分に凝縮したような中身が濃いものだった。
植木先生は、子供が社会的に褒められることの意義を強調された。金澤先生は小学校での俳句クラブの活動について、高木先生は幼児から御年寄までの俳句活動の段階について話された。更に吉田先生は、俳句を読むことの大切さを、山本先生は1枚文集を活用した独創的な俳句指導について報告した。
内容について、ここでは立ち入らないが、気になる方がおられたら連絡をいただければ資料などをお送りすることも可能である。
報告後の議論は多岐に渡ったが、僕は山本先生の「僕はいい句という表現は使わない。気になる句と言う」との発言に強く惹かれた。
コンクールをすれば特選の句もあるし、一次予選で姿を消す俳句もある。
しかし、それはどちらが良いと比較できるものだろうか。子供の句の中にそれぞれの子供の良さを発見することこそ俳句教育の原点であるとすれば、普通の子供の普通の俳句を目を注がなければいけないことを痛感させられた。
2時間弱の会合であったが、中身は濃かった。子供俳句の起爆剤になればと願っている。