俳句フォトエッセイ2025.08.06生き様を手に汗握る芸の道小山正見話題の映画「国宝」を見に行った。川崎ラゾーナの五階にある109シネマズ川崎である。10ものスクリーンを持つシネマコンプレックスだ。上映は朝10時半からというのにほぼ満席だった。この映画は「悪人」「怒り」に続いて、吉田修一の原作を李相日監督が映画化したものである。任侠の家に生まれた橘喜久雄の歌舞伎役者としての生き様を描いたものだが、喜久雄に吉沢亮、相手役に横浜流星を起用し、渡辺謙や寺島しのぶなどが脇を固める。ドラマの筋よりも、歌舞伎の美しさを余すところなく表現する映像に度肝を抜かれた。古い歌舞伎座の頃だが、ぼくは毎月のように歌舞伎に通ったことがある。4階の一幕見か、せいぜい3階の後部座席だったが、退屈で居眠りしてしまうことも多かった。しかし、「国宝」を観て、ぼくは二人の演技、踊り、歌舞伎の台詞回しに酔った。歌舞伎とはこんなに凄い芸だったのか‼︎何しろ美しい。映像の故か、その美しさが二倍にも三倍にも強調されるのだろう。普段は見ることができない歌舞伎の舞台裏が見られるのも魅力だ。稽古場、舞台の裏、そして奈落からのカメラアングル。「引抜」と呼ばれる衣装の早替わりなど花のある場面がふんだんに使われ、その裏側が見られることも興味深い。映画を見終わって、幾つかの場面が眼裏から離れない。主人公の橘喜久雄のモデルは一説には坂東玉三郎と言われている。ぼくは、歌舞伎座以外で一度だけ玉三郎をみたことがある。ドストエフスキーの『白痴』を原作とした「ナスターシャ」である。1989年、場所はベニサンピットだった。観終わって、玉三郎の存在感だけが残った。玉三郎が役に近付くのではなく、役の方が玉三郎に寄っていくのだ。こんな役者が世の中には存在するのだと思った。この「ナスターシャ」と同様、「国宝」に観た歌舞伎の美しさももぼくの心に残りそうだ。
話題の映画「国宝」を見に行った。川崎ラゾーナの五階にある109シネマズ川崎である。10ものスクリーンを持つシネマコンプレックスだ。
上映は朝10時半からというのにほぼ満席だった。
この映画は「悪人」「怒り」に続いて、吉田修一の原作を李相日監督が映画化したものである。
任侠の家に生まれた橘喜久雄の歌舞伎役者としての生き様を描いたものだが、喜久雄に吉沢亮、相手役に横浜流星を起用し、渡辺謙や寺島しのぶなどが脇を固める。
ドラマの筋よりも、歌舞伎の美しさを余すところなく表現する映像に度肝を抜かれた。
古い歌舞伎座の頃だが、ぼくは毎月のように歌舞伎に通ったことがある。4階の一幕見か、せいぜい3階の後部座席だったが、退屈で居眠りしてしまうことも多かった。
しかし、「国宝」を観て、ぼくは二人の演技、踊り、歌舞伎の台詞回しに酔った。歌舞伎とはこんなに凄い芸だったのか‼︎
何しろ美しい。映像の故か、その美しさが二倍にも三倍にも強調されるのだろう。
普段は見ることができない歌舞伎の舞台裏が見られるのも魅力だ。
稽古場、舞台の裏、そして奈落からのカメラアングル。「引抜」と呼ばれる衣装の早替わりなど花のある場面がふんだんに使われ、その裏側が見られることも興味深い。
映画を見終わって、幾つかの場面が眼裏から離れない。
主人公の橘喜久雄のモデルは一説には坂東玉三郎と言われている。
ぼくは、歌舞伎座以外で一度だけ玉三郎をみたことがある。ドストエフスキーの『白痴』を原作とした「ナスターシャ」である。1989年、場所はベニサンピットだった。
観終わって、玉三郎の存在感だけが残った。玉三郎が役に近付くのではなく、役の方が玉三郎に寄っていくのだ。こんな役者が世の中には存在するのだと思った。
この「ナスターシャ」と同様、「国宝」に観た歌舞伎の美しさももぼくの心に残りそうだ。