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釣忍隙間に見ゆる京の町

小山正見

「町」と言うより「街」と書く方が格好いいと普段は感じている。しかし、京都の場合はどうしても「町」が似合う。
場所は、京都北区の船岡山の山頂にある建勲(たけいさお)神社である。
織田信長を祀る神社で、明治天皇の勅命で創建されたそうだ。
高橋和子さん、藤井曉子さんの「お片付け講座」とコラボで行われた「大花野の会in京都」が終わった後、会場を提供して下さり、全てをお世話してくださったOさんが案内してくださったのだ。京都市街が一望でき、周りの山々も見渡せる。
Oさんは、京都のお祭りや五山の送り火について詳しく説明してくださった。
少し京都がわかったような気がした。

「大花野の会in京都」はとても気持ちの良い会になった。
大阪や東京からもわざわざ駆けつけてくださった方もおられた。
Oさんご夫妻が句集を朗読して下さり、気になる俳句を出していただくところから会は始まった。
Aさんは「幾度もこの句集を読んでいるが、読むたびに気になる句が違う」と話され、「今日は」

荒梅雨の花に水やる君と居て

を挙げられた。
認知症は「もの忘れ」の病気でもあるが「こだわり」の病気でもある。しかも断固としてこだわるのだ。普通の世の中なら何処かで「折り合い」をつけられるのだが、それができないのがこの病気である。
「泣く子と何とかには勝てない」
こんな時にどうするか、問われるのは自分の方なのだと言うことに思い至る。
似たようなことは、他の場面でも多くあるに違いない。どう考えるかは、認知症に限ったことではないことにも気がついた。
「アルバムを何冊も見るよりも短い俳句から伝わるものが大きい」
とのご意見も頂いた。
短いからこそ、読む人の感性が俳句の世界を百万倍に広げるのだろう。
読む人の中にこそ、俳句の力の源泉があるのだと改めて感じた。
1時間半があっという間に過ぎた。
「私も俳句をやってみようかしら」
と声をかけられた。

昨日からの土砂降りの雨の上がった建勲神社からの景色は実に気持ちが良かった。
Oさんはじめ、参加された皆様に心からのお礼を申し述べたい。