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小山正孝

俳句フォトエッセイ

漢籍に囲まれている春炬燵

大垣で「高校生俳句決戦」というイベントがある。奥の細道の結びの地ということで、大垣は俳句が盛んだ。審査員として招かれ、今年は3回目だ。長らく会いたかった友人中嶋康博氏に連絡を取った。彼は岐阜在住の詩人•研究者である。小山正孝を顕彰する感泣亭の活動にも随分応援をしていただいた。まず、中嶋氏お勧めの柳ケ瀬のとんかつ屋「清楽」で分厚いカツをご馳走になった。ソースが美味い。独特の揚げ方。ここでしか味わえない逸品である。美川憲一で有名な柳ヶ瀬ブルースの発祥のキャバレー街は今は閑散としており、街の再興に様々な試みが行われているらしい。「うちに来ませんか」中嶋氏が提案してくれた。

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春近しここは原宿神宮前

ここは神宮前の交差点、鏡張りのエントランスが目を引く、あの奇妙な意匠の東急プラザの2階である。この辺りには、デザインに凝ったビルが山ほどある。昔の同潤会アパートを建て直した表参道ヒルズも近い。歩いているのは若者ばかりだ。実はここは、ぼくにとって縁の深い場所なのである。結婚し転出するまで、ぼくの本籍地は「渋谷区神宮前1丁目165番地」だったからだ。写真の正面のビルのちょうど裏側に当たる。そこに父が育ち、祖父が住んでいた家があった。大正から太平洋戦争が終わるまでの期間だ。当時は、明治通りもなく、明治神宮前への参道の一画に過ぎなかった。代々木の練兵場も近く、寂しい東京の郊外といった場所だったようだ。

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大寒や軍国少年なりし頃

ここは千代田区の東郷元帥公園である。東郷元帥とは、連合艦隊を率い、あの日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した、東郷平八郎のことだ。子供だったぼくにとって、東郷元帥は乃木希典大将と並んで英雄だった。わざわざ横須賀まで戦艦三笠を見に行ったこともある。「水師営の会見」という軍歌は何度聞いたか分からないほどだ。「旅順開城約なりて敵の将軍ステッセル」から始まる歌だ。佐々木信綱の作詞で、最後は「昨日の敵は今日の友語る言葉も打ち解けて我は讃えつつ彼の防御彼はたたえつ我が武勇」で終わる。映画も観た。「明治天皇と日露大戦争」。特に好きだったのは軍艦だった。

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ほんのりと色をつけをり桜の枝

3月から感泣亭で、新たにお花の教室が始まることになった。初回は3月20日(金)(春分の日)に行う予定である。桜の枝は、お花教室の先生からいただいたものである。既にほのかに蕾が色をつけている。ますます感泣亭に文化の香りが漂うことになる。毎月第4火曜日の「サロンde感泣亭」では、香りやカービングのミニ講座もあるが、定例で「土井伸の楽しい書の教室」「詩人服部剛の言葉の部屋」「初心者俳句セミナー」「読書会」「気功教室」などが行われている。今月の末には好評だった「A I講座」の2回目も予定されている。「感泣亭」とは聞き慣れない名前だが、元々は、詩人であったぼくの父•小山正孝が自分の書斎につけたものだ。

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樋口氏はぼくの恩人クリスマス

思い返すと、ぼくは樋口健夫氏から時々の重要なポイントでプレゼントをもらっている。樋口健夫氏はナイジェリアやサウジアラビア、ネパール、ベトナムなど海外勤務に在職中のほとんどを費やした三井物産の敏腕の商社マンだ。そして、同時に「アイデアマラソン」の創始者であり、実践者である。樋口氏は、今でも毎日50のアイデアをノートに記すことを日課にしている。手術で入院していた時も欠かさないモーレツな人である。最初に出会ったのは、ぼくが奥田真丈先生が会長を務めていた「日本基礎教育学会」の事務局の仕事をしていた時だ。「面白い人がいる」というので、月例会で話をしていただいた。

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秋の薔薇古き駅舎の供のごと

東急線田園調布の駅舎である。「駅舎だった」という方が正確だろう。東急線は今は地下ホームになっており、古いこの駅舎は今はモニュメントである。大豪邸が立ち並ぶ田園調布をぼくは好きだ。駅前の窓の大きなカフェで数時間を過ごし、田園調布の町を散策する。それは、時にはぼくの日課のようにさえなっている。。特に夕暮れ時の田園調布の町は美しい。広い庭の奥の洒落た家屋の窓に灯が灯る。。絵本の中にいるような錯覚に陥る。時には、住宅街の中にある画廊でひとときを過ごす。多摩川台公園まで足を伸ばし、台地から多摩川の流れを見下ろすこともある。しかし、負け惜しみではないが、ここに住むのは大変だろうなとも思う。

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乱れ萩しとどの雨の金曜日

今日は、江東区の某小学校の俳句研修会に伺う予定でいたが、台風の影響で延期になった旨、連絡があった。写真は、我が家感泣亭の前に繁茂している萩である。この萩は、句集『大花野』の句萩咲かせ昔の家に戻しけりの萩である。この場所には、昔から萩が咲き乱れていた。その萩がスペースの工事で途絶えてしまったのを復活させたのである。昔の萩は、坂口昌明さんが長野からわざわざ持ってきてくれたものだった。そして今日9月5日は、その坂口さんの命日である。坂口さんは、猛烈な知識の持ち主で、想像を絶するほどの集中力を有している方だった。

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警官の顔に吹き出す玉の汗

公園の柵に腰掛け、昼食を取っていた。あまり食欲はない。研修会の開始時刻が迫っていたので千代田寿司で干瓢巻きを買ったのだ。そこに警察の車両が止まり、警官が二人降りてきて、何やら調べている。どうやら事故があったらしい。ぼくにも「何か見ませんでしたか」と聞いてきた。この暑さで、警官の顔には既に玉の汗だ。「大変だなぁ」素直な感想だ。思わず「ご苦労様」と声をかけた。学生時代を思い出した。大学紛争の最中で、ぼく自身も若くて生意気だった。大学キャンパスから当時住んでいた学生寮に変える途中だ。時刻は午前2時頃である。警官に呼び止められた。「どこに行くんだ?」「そっちに行くんだ」「どこからきたんだ?」

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鬼灯を供へて母と対面す

母が他界したのは、2014年3月23日だから、もう10年以上前のことである。にもかかわらず、「お母さまにお供えください」と鬼灯をいただいた。それで、ぼくは鬼灯を供え、母と写真と久しぶりに対面した。我が家はちょっと変わっている。一切宗教的なことをしない家なのだ。まず、戒名がない。そして、位牌もない。葬式の時以外お経をあげてもらったこともない。これが父の考えだったのか、母の考えだったのか話したことは一度もなかった。考えてみるとお盆とか、お彼岸には意味がある。定期的に死者に、先祖に、向かい合うことができるからだ。ぼくの場合は、たまたま思いついた時に、写真と対面し線香を立てる。

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風死すや二階に無料喫煙所

神保町の裏通り、お茶の水小学校の近くだ。御茶ノ水小学校の前身、錦華小学校は夏目漱石が学んだ学校だ。一画に「吾輩は猫である。名前はまだ無い。明治十一年夏目漱石錦華に学ぶ」と刻んだ碑がある。ふと見上げると蕎麦屋の2階にあるのは、無料喫煙所だった。ぼくは、煙草は吸わない。誰でも同じだろうが、未成年の時には格好をつけて煙草を燻らせたことはある。しかし、煙をしっかり肺の奥まで吸い込む勇気がなかった。それが良かったのか、喫煙という習慣をぼくは持たない。その後、幸か不幸か「肺結核」と病気にかかったために今に至るまで煙草に縁がない。就職した1970年代は喫煙社会であった。