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小山正孝

俳句フォトエッセイ

春の果風車ふうわりふわりかな

港の見える丘公園のフランス領事館跡地にある風車である。あるかなきかの風に浮いているかのように見える。ここに来たのは2019年の3月、神奈川近代文学館のホールでのきごさい全国小中学生俳句大会の表彰式以来だ。6年ぶりである。今日は、近代文学館で行われている「大岡信展言葉を生きる言葉を生かす」を見るために来た。ぼくが大岡信と出会ったのは朝日新聞に連載された「折々の歌」であった。そこでぼくは俳句や短歌の楽しさに触れた。父、正孝も大岡信との接点があったようだ。死後、写真や手紙類を整理した際に、大岡と一緒に写った写真や葉書が何枚も出てきた。

俳句フォトエッセイ

大花野展勿忘草(わすれなぐさ)の再び

大花野展は今日最終日を迎えた。天気予報では雨の予想である。今はまだ降っていない。お客さんを帰さない「遣らずの雨」になるのだろう(笑)スペースの前に置いてある甕に小さな青い花が咲いている。よく見たら勿忘草(わすれなぐさ)だ。去年の種から芽が出たのだ。昨年の4月17日にぼくは、この俳句フォトにどうしても勿忘草をおまえに正見を挙げた。ぼくが妻と初めて出逢ったのは19歳の時だった。それから紆余曲折があって結婚したのは5年後の24歳の時だった。その青春とも言える時期に流行ったのが芹洋子の「忘れな草をあなたに」だった。朝、YouTubeで探して聴いてみた。

俳句フォトエッセイ

おじちやんの形見纏ひぬ弥生かな

3月11日。東日本大震災から14年である。あの日、あの時、僕は江東区役所の6階にいた。書類ケースから書類が飛び出し、天井から吊ってあった看板が落ちてきた。帰宅すると、食器棚が1メートル程動いており、中の食器は半分程割れていた。妻は「一人でいるのは怖い」と隣の家に身を寄せていた。今日一日中、テレビは震災の話を流していた。3月11日は、ぼくにとってもう一つ重要な意味がある日だ。山崎剛太郎さんの命日だからだ。剛太郎さんは、フランス映画の字幕翻訳のレジェンドである。剛太郎さんは父・小山正孝の親友だった。府立四中以来の仲だ。「山崎剛太郎『薔薇物語』刊行に寄せて」という正孝の文章に次のくだりがある。

俳句フォトエッセイ

春夕焼またこの場所に来ています

散歩の続きである。「お店の人」というより、「家の人」という感じの女性に掛軸の由来を尋ねてみた。ご先祖がご商売をされていて、東郷家に出入りしていたような話をして下さった。この近くには「奥沢海軍村」というのがある。関東大震災の後、海軍省のある虎ノ門と横須賀の両方に行きやすいというので、海軍士官が住み始めたのがきっかけらしい。現在も当時の面影が残っているという。この地に東郷平八郎!ぴったりだ。ゆるい坂を下ると南国飯店がある。ここで一度小山正孝を顕彰する「感泣亭例会」を開いたことがある。現在のスペース感泣亭ができる前のことだ。南国飯店を見て、自由が丘に行くならあの場所に行かなくてはと思い出した。

俳句フォトエッセイ

うねうねと花芽伸ばしぬ紫木蓮

前にも書いたが、ぼくは毎週この道を通って妻が世話になっているグループホームに通う。この紫木蓮は瀟洒な住宅の庭にある。つい先日、毛むくじゃらの花芽が姿を見せたかと思ったら、もう花が開き始めた。季節の移ろいは早い。紫木蓮で思い出すのは、鈴木真砂女の句だ。戒名は真砂女でよろし紫木蓮紫木蓮が坊主の袈裟を思わせる。取り合わせの傑作だ。考えてみれば、我が家も戒名に無関係だ。父の小山正孝の戒名はない。母の常子の戒名もない。それどころか、仏壇もなければ位牌すら無い。葬儀は葬儀社を通して禅宗の僧侶に頼んだのは、正孝が禅というものに興味を示していたからに過ぎない。

俳句フォトエッセイ

病院の看板大き六日かな

暮れに近くの医者で市の健康診断を受けた。職を離れて二年。久しぶりの健康診断だ。次の朝その医院から電話がかかってきた。「健康診断の結果でお知らせしたいことがありますから来てください」悪い話に決まっている。いそいそと出かけたら「不整脈があります」それもペースメーカーレベルだと言う。ずいぶん人を驚かす。不整脈なら今に始まった話ではない。一度は負荷心電図もとり、心臓の画像診断までした。その時は「大丈夫」と言われた。しかし、考えてみれば十年も前の話だ。関東労災病院に紹介状を書いてもらった。喜寿を迎えると言うのはこういうことかと思った。そろそろ死ぬ準備をしておかなければならない。