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季語

俳句フォトエッセイ

俳句とはいったい何か秋驟雨

初心者の句会で、Aさんが「どうしても季語が入らなくて」と言う。「娘さんと一緒にお母さんのお見舞いに行き、一緒にハグしている写真が送られてきて、何だかすごく感動したの。それを俳句に詠みたくって」と仰る。「俳句は短いから、全部入れるのは難しいですね。焦点を決めてやってみましょう」といくつか添削例を示したが、どうも納得がいかないという表情だ。指摘するポイントがずれていたのだろう。しかし、「俳句にしよう」と悪戦苦闘したおかげでこのエピソードは長くAさんの心に残るのではないだろうか。小学校1年生を指導していた時に、こんな作品が出てきた。

お知らせ

イベント開催報告:俳句フォトの会7月例会(7月19日)

が講師を務め、俳句の基礎知識から夏の季語、そして写真と俳句を組み合わせる楽しみ方まで、和やかな雰囲気の中で解説を行いました。新聞連載の最終回、そして新たな出会い今回の例会は、小山が長年続けてきた新聞連載「小山正見のかわさき俳句フォト」が最終回を迎えた節目の時期に行われました。川崎市役所から望む富士山の写真に始まり、40回近くにわたって川崎のまちと人を撮り続けてきた連載。「結局は人だ」――取材を重ねるうちにたどり着いたその思いを、小山はあらためて語りました。この連載を毎回楽しみに読んでこられた方が、「最終回を読んで、これは何が何でも先生のところへ」と、今回初めて例会に足を運んでくださいました。

俳句フォトエッセイ

秋の水羽を震はす鳩の群

季語でいう「秋の水」とは、本来きれいで澄み切った水を指す。夏の間はプランクトンなどの微生物が繁殖して、水は濁っているが、秋になると水温が下がる。微生物の繁殖も下火になり、水が澄む。こうした現象を元にした言葉が「秋の水」という季語だ。「水の秋」とひっくり返せば、そうした美しい水をたたえる秋という意味になる。日本語の不思議は言葉に情緒が結びついていることだ。同じ風でも「春風」と言えば何となくうきうきする。逆に「秋風」と言うとほのかな寂しさとか悲しさが感じられる。俳句がたった十七音で詩になり得るのは、こうした日本語の特徴によるものかもしれない。鳩が羽を震わしているのは、実は水浴びをしているからだ。

俳句フォトエッセイ

我が街に降臨したり大西日

元住吉の駅を降りたら、写真のような光景だった。街が夕方の光にすっぽりと包まれている。すごい衝撃だった。慌てて、スマートフォンをお尻のポケットから出して、シャッターを切った。こんな景色はすぐに消えてなくなってしまうからだ。俳句フォトについて、よく質問を受ける。「写真と俳句では、どちらが先ですか?」というものだ。新聞小説には、必ず挿絵があるし、芭蕉の句に絵が付けられた「俳画」というものもある。この考え方だと、俳句や文章が先にあり、絵や写真は後からつけることになる。ぼくもたまには、そういう作り方をすることもある。

お知らせ

イベント開催報告:第二回俳句フォトの会例会(9月14日)

が講師を務め、俳句の基本的な構造から季語の使い方、写真と俳句の効果的な組み合わせ方まで、分かりやすく説明しました。その後、参加者の皆様が持ち寄った俳句フォト作品を一つ一つ丁寧に鑑賞し合い、活発な意見交換が行われました。参加者同士が新たな気づきを得られる貴重な機会となり、俳句フォトの日常生活への活かし方についても話し合いました。短い時間ながらも、参加者の皆様お一人お一人の俳句フォトへの深い思いや情熱が伝わる、心温まる素敵な例会となりました。作品を通じて共感し合い、お互いの感性を分かち合う和やかな雰囲気の中で、第二回例会は終了しました。

俳句フォトエッセイ

見渡せば白日傘白日傘白日傘

西日本では、既に梅雨明けしたという。関東地方の梅雨明けも7月上旬が予想されるらしい。猛暑の夏がやってくる。最近は毎年猛暑が積み重なってくる。たまったものではないが、ぼくの記憶に残る猛暑は34年前だ。江東区の学校から港区の笄小学校に転勤して1年目だった。笄小学校の笄(こうがい)とはかんざしのことで、江戸時代は職人町だったのだろうと想像される。霞町の交差点の近くだ。秋元康の作詞でとんねるずが歌った「雨の西麻布」のど真ん中にあったのが笄小学校だ。足立、江東と下町を回ってきた自分としては、随分場違いな学校に来てしまったなと思った。ぼくは1年生を担任していた。この年が暑かった。

俳句フォトエッセイ

トリオンにちよいと加わり春うらら

トリオンというのは、元住吉のブレーメン通りのヒーローである。ドイツの国旗の色に因んで赤と黒と黄色の三色の衣装に身を包んでいる。ドイツから来日した商店街を守る平和のヒーローという設定だ。お祭りなど特別の時にしかいないのに、なぜいるのかと思ったら、NHKのテレビに取材があったらしい。いいチャンスだと思って一緒に写真を撮ってもらった。今日は月に一回の「サロンde感泣亭」の日だった。午前10時から午後4時。ワンコインでハーブティーなどお菓子が振舞われる。お昼に予約をすると美味しいお昼ご飯も食べられる。この日は豚汁といなり寿司だった。希望する人はミニ教室も楽しむことができる。

俳句フォトエッセイ

花冷のままに一夜を過ごしたる

冬に戻ったように寒い。雨まで降っている。住吉桜は満開のまま凍結しているようだ。正に花冷である。一瞬の絶頂があり桜散るのが普通だが、頂点で止まってしまうこともあるのだ。昨年「花冷」という題の俳句の連作を所属している俳誌「梓」に出したことを思い出した。締切を1ヶ月間違えていて、催促され慌てて詠んだものだ。気分がイライラしていて、句にも影響している。

俳句フォトエッセイ

料峭(りょうしょう)やああ志村けん志村けん

料峭の「峭」は「きびしい」と言う意味で、春風か寒く感じられるという季語である。俳句を始めると今まで知らなかった言葉に出会えるのが嬉しい。先日、東村山市の学校から俳句教室に呼ばれた。あの志村けんが卒業した学校である。駅前に志村けんの銅像がある。袴姿で、何となく真面目くさっている印象も無くはない。そのまま漫画にでもなりそうな「如何にも志村けん」というようなはっちゃけた顔ではなかった。その昔、萩本欽一とドリフターズが夜の8時台で競いあっていた。聴衆を巻き込む欽ちゃんが優勢になりつつあった時、ドリフターズの救世主として現れたのが志村けんだ。