俳句フォトエッセイ2026.10.09俳句とはいったい何か秋驟雨小山正見初心者の句会で、Aさんが「どうしても季語が入らなくて」と言う。「娘さんと一緒にお母さんのお見舞いに行き、一緒にハグしている写真が送られてきて、何だかすごく感動したの。それを俳句に詠みたくって」と仰る。「俳句は短いから、全部入れるのは難しいですね。焦点を決めてやってみましょう」といくつか添削例を示したが、どうも納得がいかないという表情だ。指摘するポイントがずれていたのだろう。しかし、「俳句にしよう」と悪戦苦闘したおかげでこのエピソードは長くAさんの心に残るのではないだろうか。小学校1年生を指導していた時に、こんな作品が出てきた。《よこはまにじいちゃんとばあちゃんとおかあさんといもうとでいったなつやすみ》低学年の指導は五七五の型を教えるのが普通だが、この子の作品を見た時、「無理矢理型にはめることが良いのか?」という疑問が生じた。それより、「自分の言いたいことを言う」ことの方が本質的なことではないのか。それ以来、「なるべく短くしようね」とは言うが、できるだけ型にはめないように指導してきた。型を身につけるのは、その後でも遅くないと思うからである。自由律俳句も、心の中にほとばしるモノがあったからこそ生まれたのだろう。認知症のデイサービスでの俳句作りを手伝っている。職員さんから「カレンダーに載せるので選んでほしい」と依頼を受けた。改めて句を眺めると、その人、その人の人生や性格が見えてくる気がする。《楽しみは昭和のキャバレー春来る》高度成長を支えた戦士だった人の句だ。《その昔たくさん作った柏餅》は田舎で育った子ども時代を詠んだという。《秋の夜同級生を思い出す》という句もある。彼らにとって俳句とは何だろう。少なくとも技術的に上手い俳句を作ることだけが目的ではないだろう。詩人の津村信夫の父・津村秀松は『花野ゆく』と題する句集を出している。虚子や鬼城にも選句してもらったらしい。そのあとがきで「だがいよいよとなって、諸先生方に見放された句のうちからも、若干自分勝手に組み込んだものがある。‥・自分にはどうしてもそれらを捨つるに忍びなかった。」と書いている。俳句の価値とは何だろう。結社の中にいると、主宰に認められ、句会で高得点を取る句をついつい目指してしまうが、それだけで俳句の価値を決めてしまうのは早計かもしれない。この句の季節のことば秋秋驟雨あきしゅうう秋に、急に激しく降り出しては、まもなく止む雨。近い季語秋の雨あきのあめ秋に降る雨。冷たく、寂しい趣がある。「秋の雨」の俳句フォトをもっと見る(5句)俳句フォト歳時記
初心者の句会で、Aさんが「どうしても季語が入らなくて」と言う。
「娘さんと一緒にお母さんのお見舞いに行き、一緒にハグしている写真が送られてきて、何だかすごく感動したの。それを俳句に詠みたくって」
と仰る。
「俳句は短いから、全部入れるのは難しいですね。焦点を決めてやってみましょう」
といくつか添削例を示したが、どうも納得がいかないという表情だ。
指摘するポイントがずれていたのだろう。
しかし、「俳句にしよう」と悪戦苦闘したおかげでこのエピソードは長くAさんの心に残るのではないだろうか。
小学校1年生を指導していた時に、こんな作品が出てきた。
《よこはまにじいちゃんとばあちゃんとおかあさんといもうとでいったなつやすみ》
低学年の指導は五七五の型を教えるのが普通だが、この子の作品を見た時、「無理矢理型にはめることが良いのか?」という疑問が生じた。それより、「自分の言いたいことを言う」ことの方が本質的なことではないのか。
それ以来、「なるべく短くしようね」とは言うが、できるだけ型にはめないように指導してきた。型を身につけるのは、その後でも遅くないと思うからである。
自由律俳句も、心の中にほとばしるモノがあったからこそ生まれたのだろう。
認知症のデイサービスでの俳句作りを手伝っている。
職員さんから「カレンダーに載せるので選んでほしい」と依頼を受けた。
改めて句を眺めると、その人、その人の人生や性格が見えてくる気がする。
《楽しみは昭和のキャバレー春来る》
高度成長を支えた戦士だった人の句だ。
《その昔たくさん作った柏餅》は田舎で育った子ども時代を詠んだという。
《秋の夜同級生を思い出す》という句もある。
彼らにとって俳句とは何だろう。
少なくとも技術的に上手い俳句を作ることだけが目的ではないだろう。
詩人の津村信夫の父・津村秀松は『花野ゆく』と題する句集を出している。
虚子や鬼城にも選句してもらったらしい。
そのあとがきで「だがいよいよとなって、諸先生方に見放された句のうちからも、若干自分勝手に組み込んだものがある。‥・自分にはどうしてもそれらを捨つるに忍びなかった。」と書いている。
俳句の価値とは何だろう。
結社の中にいると、主宰に認められ、句会で高得点を取る句をついつい目指してしまうが、それだけで俳句の価値を決めてしまうのは早計かもしれない。