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俳句フォトエッセイ

荒梅雨や緑に濡るる石畳

ぼくが俳句フォトを始めたのは、今から15年前、退職の10日前に買ったiPhone3がきっかけである。「いったい、これで何ができるんだ?」半信半疑だった時、「フォト一句」というアプリを見つけた。写真に簡単な文字が入れられるアプリケーションだった。文字はゴシックと明朝の二択だった。丁度その頃、森村誠一が始めた「写真俳句」がちょっとしたブームになっていて、NHKテレビでも「フォト575」という番組が作られたりした。ぼくの作品も一度取り上げられたことがある。夏来る働き蜂はみんな留守というような、団地の写真をバックにした作品だったように思う。

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梅雨空を裂きて全国交流会

新型コロナウイルス感染症の拡大という悲劇がなければ、これほどリモートの活用は広がらなかったであろう。「全国学校俳句指導者交流会」を先日リモートで実施した。主催は日本学校俳句研究会である。参加者は全国から約35名。いずれも各地の学校や地域で子どもの俳句指導の中心になって関わってる面々である。関東だけでなく、鹿児島や島根、京都、大阪などからも参加者があった。顔を合わせたこと、そのことそのものが画期的だ。報告者は、東京都葛飾区の植木先生、大分県大分市の金澤先生、東京都江東区の吉田先生、岐阜県大垣市の高木先生、そして埼玉県狭山緑陰高校定時制の山本先生の5人にお願いした。

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釣忍隙間に見ゆる京の町

「町」と言うより「街」と書く方が格好いいと普段は感じている。しかし、京都の場合はどうしても「町」が似合う。場所は、京都北区の船岡山の山頂にある建勲(たけいさお)神社である。織田信長を祀る神社で、明治天皇の勅命で創建されたそうだ。高橋和子さん、藤井曉子さんの「お片付け講座」とコラボで行われた「大花野の会in京都」が終わった後、会場を提供して下さり、全てをお世話してくださったOさんが案内してくださったのだ。京都市街が一望でき、周りの山々も見渡せる。Oさんは、京都のお祭りや五山の送り火について詳しく説明してくださった。少し京都がわかったような気がした。

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名物の紫陽花通りとなりにけり

八名川小学校の裏手である。見事な紫陽花だ。これは、中村友子さんを中心とした八名川小学校の「花の会」の皆さんの15年に渡る努力の結晶だ。学校の校門にも、目の前にある八名川公園にも紫陽花が美しく花をつけている。八名川公園は、花の会の皆さんが守備範囲を広げた結果だ。6月の半ばには校庭にある枇杷の実を収穫してジャムを作るらしい。ぼくが八名川小学校に赴任したのは、今から21年前である。そして、6年間在職した。思い起こすと、この間に色々な事業に取り組んだ。

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葛切を男一人で喰らひけり

久しぶりの京都だ。驚いたのは、新横浜から京都まで2時間もかからないことだ。9時30分に乗って、11時半前には京都に着いてしまった。これなら日帰りも可能だろう。新幹線を降りて、びっくりしたことが更に2つ。一つは京都駅構内の飲食店街が雰囲気よくリニューアルされていたこと、もう一つは京都でSuicaが使えるようになっていたことだ。2013年からそうなっていたようだが、前回は一日券を使っていたからか、全く気が付かなかった。まず向かったのは、四条河原町の葛切りの「鍵善」である。四条の橋の近くと思い込んでいたが、実際はかなり奥で、祇園の入口に近かった。店に入って記憶が蘇った。

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光悦垣樋(とい)の先より五月雨るる

光悦垣樋(とい)の先より五月雨るる小山正見光悦寺!京都である。ところが、この日は土砂降り。「大花野の会in京都」の会場を提供してくださったOさん夫妻に大変お世話になった。まずご主人が宿まで迎えに来てくださり、ぼくを光悦寺まで車で連れて行ってくださった。光悦寺は、江戸時代初期に活躍した本阿弥光悦ゆかりの寺である。竹で組んだ独特の菱形の垣根が「光悦垣」として名高い。鷹峯三山が雨のもやの中で幻想的に見える。青い楓の葉に雨粒が宿り、樋からは雨水が流れ落ちる。庇のある一隅で五月雨を眺めながら、ぼくはOさんに京都のことを色々教えていただいた。

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梅雨入宣言今か今かと待つテレビ

「雨だ!」今日こそ、関東地方の梅雨入宣言が気象庁から発表されるだろう。テレビを見ていて気付いたことがある。かつては「天気予報」だったはずだが、最近は「気象情報」に変わっている。※NHKの話確かに災害などのニュースも伝えるからだろう。調べてみたら民放では、今でも「天気予報」が主流らしい。本題に入ろう。桜は靖国神社の標準木が5輪咲くと「開花」とされる。他がどうであろうともだ。桜にしても梅雨にしてもはっきりしないものをはっきりさせるという風習はどこから来ているのだろう。ぼくは、これは「二十四節気」という暦が日本人の文化に深く根を張っているからだろうと思う。

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枇杷西瓜(びわすいか)亀戸中央商店街

「オォー!まるごとの西瓜だ!」ここは、亀戸中央通り商店街である。下町ど真ん中。こんな八百屋が何軒も軒を連ねている。今日は、亀戸近くの某小学校で教員向けの俳句研修会がある。毎年、この時期に研修会をしている。調べてみたら、コロナ下の2021年からずっとだ。久しぶりに天麩羅が食べたくなった。そう言えば、亀戸駅前のアトレの6階に天麩羅屋があったはずだ。エレベーターを上る。一渡りあるいてみたが、あったはずの店がない。どうやら新しい店に場所を譲ったようだ。ここでも生き残るというのは、大変なことなのだろう。亀戸のアトレは、広くなっていた。隣り合ったビルを買収したのだろう。

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梅雨近ししばられ松の摩訶不思議

向ケ丘遊園から梶ケ谷に向かうバスに乗った。東急バスの路線で、系統番号は「向01」。ふと、路線図の中に「しばられ松」というバス停を見つけた。なぜ縛られているのか-。その奇妙な名前が頭に残っていた。先日、友人から「昔ばなしを語ろう会・かわさき」の朗読会に誘われた。この会は「昔ばなし大学」を全国で開講されてきた多摩区在住の口承文学者、小澤俊夫さん(世界的指揮者である故・小澤征爾さんの兄上)の活動に刺激されて生まれたという。その日、会場の多摩区役所生田出張所には20人近くが集まっていた。そこで朗読された話の一つが、あのしばられ松の昔話だった。しばられ松は昔から語り継がれてきた民話の主人公だった。

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廃屋を喰ひ始めたり青き蔦

散歩の途中である。改めて、しげしげと眺めてしまった。まだ古い家ではない。意匠をこらし、お洒落な一軒家である。誰も住んでいないことは、明らかだ。白く塗られた家を青蔦がぬめぬめと這い上がっていく。飲み込まれてしまうのは、時間も問題であるかのようにも感じられる。廃墟ツアーというのが、あるそうだが、ぼくが見た無惨な廃墟の一つは、長崎の軍艦島だ。軍艦島の名称は、外観が戦艦「土佐」に似ているところからついた。20世紀前半は質の良い石炭が取れることから大いに採掘が進んだ。「端島炭鉱」と呼ばれた。高層の住宅が作られ、1960年頃には、5000人が住んだと言われる。それが、エネルギー政策の転換で廃坑になった。