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俳句フォトエッセイ

派手ならば派手なほど良き敬老日

どの国でもそうだろうが、日本人の商魂も逞しい。平賀源内の「土用鰻」に始まって、何でも物を売る機会にしてしまう。お中元、お歳暮は昔からだが、記念日とのリンクが戦後の傾向かと思う。母の日、父の日、そして、敬老の日だ。バレンタインデーは大成功した例だろう。「孫の日」を作り、爺婆の財布の紐を緩めさせようとしたが、こちらは思ったほど成功していないようだ。花屋にこんなド派手な花があるとは思いもしなかった。ちょっと品のない気もしないでもないが・・・しかし、歳取ったら派手が良い。陰気臭くない。それだけで元気で華やかな気分になる。ぼくの母親はおしゃれな人だった。

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煌々と十日余りの月の晩

玄関のチャイムが鳴った。出ると近所のAさんだった。「安かったから」とバナナの束とパンを手渡された。先日はお隣のMさんからお惣菜の差し入れを頂いた。妻がグループホームに入居してから、いやそれ以前から様々な配慮を頂いた。つくづく有難いと思った。Aさんが「今夜の月はとてもきれいよ」と教えてくれた。外に出た。既に中空に月は掛かっている。写真を撮ろうとしたが、電線が邪魔をする。思い立って公園に行った。ここなら電線に邪魔されない。三年前、妻がホームな入居する直前だった。ベンチに座って月を見上げたことを思い出した。この公園は懐かしい。子どもの頃はここがホームグラウンドだった。

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秋澄むや音更(おとふけ)の空音更の風

東京は暑いが、北海道はもう秋だ。音更に行ったのは、二回目の北海道旅行の時だった。最初に行った時から二十年経っていた。最初の旅行は、ぼくと妻とぼくの親友のM君の三人という妙な取り合わせだった。小樽の近くでスピード違反の反則切符を切られ、十勝の山の中で谷に落ちそうになった。サロマ湖のほとりを三人で歩いた。宿は行き当たりばったりだった。どこに行くかさえも決めていなかった。二十年後の二回目の目的地は二つ。一つは音更。その頃妻はパルシステムという生協に勤めており、音更は重要産地の一つだった。もう一つは、娘が文通をしていた厚岸の酪農農家を訪れることだった。

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ガンマンの如く背負ひぬ大西日

この時刻になると、意外と暑さを感じない。真夏と同じような気温でも体感では微妙な違いがある。そう言えば、かつて大西日の俳句を詠んだことがあった。芭蕉記念館が主催する時雨忌俳句大会。従前は「芭蕉を偲ぶ俳句」だったものが少し規定が緩やかになり、年毎のお題がきめられるようになった。それが「旅」だったか「旅行」だったか。いや、旅行はないな」(笑)帰り来て東京駅の大西日ミソは、「旅」という言葉を使わずに旅の雰囲気を出したところ。これが、どなただったか忘れたが審査員の目に留まり、賞を頂くことになった。ぼくは、都会が、そして東京が好きだ。旅は確かに楽しい。大自然の中に我が身を置くと解放感に浸る事ができる。

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この店のよもやの閉店秋の雷

「住吉書房」が閉店する!晴天の霹靂だった。噂を聞いて、店に駆けつけてみると、確かに「10月7日に閉店」との貼り紙があった。この店がなくなると、元住吉に本屋がなくなる。同時に文房具屋もなくなる。確かに、ぼく自身にしても、Amazonなどネットで買うことが多かった。世の趨勢とは言え、ショックは大きい。住吉書房は昔から知っている。あの場所は、酒屋と弁天ストアというマーケットが入っていた。元々本屋ではなかった。しかし、その跡取り息子さんが小さな貸本屋を裏通りで経営していた。ぼくは、その貸本屋の常連だった。白土三平のカムイ伝やさいとうたかおのゴルゴ13などを読み耽っていた。

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放棄せし畑に満つる秋気かな

相変わらず暑い日が続くが、あちこちに秋の気配が満ちている。雲の様子を見ると、典型的な秋の雲とは違う。鰯雲や鯖雲のようなうろこ雲や空高い巻雲が典型的な秋の雲だとすると、今日の雲はまだまだ夏の装いを有している。しかし、雲に根っこがないのは暑くても秋の空の証拠であろう。こういう空を「行き合いの空」という。日本語には素敵な言葉がある。夏と秋が行き交っている空のことを指す。古今和歌集に次の歌がある。夏と秋とゆきかふ空のかよひじはかたへすずしき風や吹くらむそしてここから「行き合いの空」という言葉が生まれたようだ。

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屁の河童残る暑さを投げ飛ばす

葛飾区立こすげ小学校。二日間続けて俳句の授業に伺った。ぼくはこの学校の初代校長ということになっている。2001年、小菅小学校と隣の小谷野小学校が統合してできた学校である。学校の統合というのは、かなりエネルギーを要する仕事だ。校名、校歌を始めとして、様々な約束事を一つ一つ決めなくてはならない。その一つ一つに様々な思惑やプライドが渦巻く。一番焦点になったのは校名である。「小菅」のままだと吸収合併のイメージがつく。しかし、地元には「小菅」のままという意見も根強くあった。アンケートをとると様々な案が出た。シンボルツリーの「欅小学校」はどうかという案も出たが、地名と較べてみると、如何にも軽い。

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遥かなる「相撲」の記憶自由が丘

自由が丘は、今大規模再開発の真っ只中である。この区画には、眼鏡の金鳳堂があり、蕎麦のさらしんもあった。洋菓子のモンブランもあった。シュークリームは逸品だった。少し洋酒めいたものを垂らしたサバランを知ったのもモンブランだった。東郷青児の絵を子どもながらに美しいと感じた。高校生の時、どうしたわけか一人で入りケーキを注文した。そうしたら、ケーキの中から木の釘が出てきた。これはどう見ても釘だとら確かめて、店員さんにその旨を告げた。店員さんは「申し訳ありません」と深く頭を下げ、代わりのケーキを持ってきてくれた。得した気分だった。しかし、食べたらそのケーキにも異物が入っていた。

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天高し世界へ拓くレールウェイ

東急東横線の元住吉駅である。長いエスカレーターを上り、改札口のあるこの階には、こんもりと木が植えられている。ベンチも設置され、ちょっとした憩いの空間だ。2006年に新駅舎として開業した。昔は東横線だけだったが、今は目黒線も乗り入れ、乗降客は一日六万人近いと言われる。ぼくは小学校一年生から高校三年まで通学で元住吉駅を利用した。「各駅停車」というアナウンスが分からず「各駅電車」とばかり思い込んでいた。男の子のぼくが車内で痴漢に遭ったこともある。駅員さんが改札鋏をチョキチョキさせていた。鋏を手でくるくると回していた。格好いいなと思った。定期券の期限切れを瞬時に見分ける技に舌を巻いた。