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俳句フォトエッセイ

20年タイムスリップする夜涼

津野さんに誘われて、久しぶりに森下の名店「三国屋」に行った。写真の左の大きい顔の男が津野利行さんだ。江東区立八名川小学校に在任した6年間、津野さんはPTAの役員として、学校を支えてくれた。5年間は副会長として、最後の1年は会長として。津野さんが会長だった年は、「発見、感動、創造の俳句教育」の研究発表会をした年である。それに呼応するように、津野さんは、自身の主宰するPTAの役員会を句会から始めた。校長だったぼくもびっくりだ。その後、彼は俳句にはまり、非凡な才能を発揮し、わずかな時間に句集まで編んでしまった。その津野さんと一緒にした最初の仕事がウィークエンドスクールの開校である。

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呆気なく舞台は廻り夏来る

雨が続き、線状降水帯の心配がテレビの天気予報で報じられたかと思ったら、呆気(あっけ)なく梅雨が明けた。7月18日、夏休み前の最後の授業のため、東西線の南砂町の駅で降りた。駅が変わっている!細いホームの先頭に改札口があるはずだった。昔は何も無かった南砂にマンションが林立し、病院やショッピングセンター、企業も進出した。ホームの改造はその人口増に対応するためだ。それにしても突然(ぼくにとっては)だった。どちらが出口なのか?迷いながら外に出たら、夏の暑い日差しが降り注いでいた。空は青く街路樹の百日紅の赤い花が咲いていた。梅雨が明けたのだ。呆気なく季節は変わるものだと思った。今年は一層暑くなりそうだ。

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夏の宵100人会議てふ不思議

なかなか洒落たデザインのロゴだ。このスライドに100人会議の思想が示されている。「この出会いを面白がろう」である。出会いであるから、先に繋がるかもしれないが、先に繋がらなくてもいい。面白がって終わりでもいいとも読み取れる。これまでのほとんどの会は、「先に繋げるため」に行われてきた。「今日を土台にさらに発展させる」ことこそが重要であった。しかし、この会にはそういう縛りがない。一回一回が独立した回で連続講座でないので毎回参加者をゼロから募る。ここにも縛りがない。更に、百人登壇して話を聞いたら、会そのものを解散する。会から何かが生まれるかもしれないが、生まれなくてもいいのだ。

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倒木の沼に亀ゐて蝉の声

一昨日は忙しかった。朝は小学生への俳句の授業。午後は八名川句会。そして夜は中原区の100人会議と懇親会。実に充実した一日だった。久しぶりに寝床につくのが午前様になった。夜が明けて、昨日は何も予定が入っていない。一日中予定なしは久しぶりだ。思い立って、王禅寺に行くことにした。王禅寺は、川崎を代表する古刹の一つである。いずれ、「かわさき俳句フォト」に取り上げたいと考えている。その下見という意味合いもある。Googleマップで行き方を調べた。すると日吉から横浜の地下鉄グリーンライン、ブルーラインと乗り換えてであざみ野まで行き、バス、というルートが出てきた。

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朝顔のずらりと並び梅雨明ける

18日(木)、夏休み前の最後の俳句の授業を江東区のある小学校で行った。校庭には、ずらりと一年生の育てている朝顔の鉢が並んでいる。一年生の国語で「大きなかぶ」を習うように、一年生はずっとずっと昔から朝顔を育てている。朝顔は、種から発芽、蔓をまき成長が観察しやすいこと、丈夫で一年生でも育てやすいことが理由だろう。この朝顔は、今日には校庭から姿を消す。各自家に持ち帰り観察しろというわけだ。一時背の低い朝顔が流行ったことがあった。大きいと持ち帰るのが大変だからだ。また、風などで鉢が倒れるのを防ぐ意図もあった。しかし、恐らく「朝顔らしくない」という理由で、元に戻ったのだろう。

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夏帽の百三歳を偲びをり

山崎剛太郎さんの遺品の夏帽を、今はぼくが被っている。剛太郎さんが百三歳で亡くなられてから二年以上が過ぎた。山崎剛太郎さんは、詩人で小説家。若き日の彼の小説『薔薇物語』は芥川賞の候補にもなったと聞いた。本業は、フランス映画の字幕翻訳で、この分野での草分け的存在である。山崎さんは、ぼくの父・小山正孝の生涯の親友であった。府立四中で出会ってから、親交は七十年に渡った。ぼくの記憶は、多摩川園遊園地でお猿の電車に乗せてもらったこと、そして東宝東和の試写室で見せたもらった「沈黙の世界」と「赤い風船」の2本の映画だった。カラーの美しい画面は鮮明に記憶に残った。

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梅雨深しスカイツリーは雲の中

亀戸文化センターでのこども俳句教室に向かう途中。面白い光景に出会った。写真がそれだ。JR錦糸町駅のホームからのものである。スカイツリーの塔の部分だけが雲の中に浮かんでいる。スカイツリーは、東武伊勢崎線の業平橋にあった操車場の跡地に建てられた。ぼくは、その業平橋の駅の近くに三十年以上住んでいた。しかし、スカイツリーの工事が始まった2008年にはすでに江東区に住まいを移していたので、スカイツリーには全く縁がない。正に雲の向こうの出来事であった。スカイツリーが出来て、東武線は変わった。走る電車は、スカイツリーラインになった。業平橋駅はとうきょうスカイツリー駅に名称変更された。

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梅雨晴の手作り味のコンサート

亀戸文化センターの「はねかめまつり」でこども俳句教室を担当した。一時間半の間にたくさんの俳句を作り、その中から7句を選びミニ句集を作るのだ。表紙も裏表紙も付け、発行日も定価もつける。表紙には題名も書かせる。そうすると、こどもの個性が出るからおもしろい。参加人数は少数だったが、楽しい時間だった。近くの学校に勤務するA先生が応援に来て下さったのもうれしかった。帰りは、武蔵小杉で降りた。外はまだ明るい。自宅まで歩いて帰ることにした。高層のマンション群の下の公園の緑が濃くなっていた。綱島街道沿いに少し歩くと、中原平和公園である。昔、この場所は米軍の基地・印刷工場があり、鉄条網で囲まれていた。

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夕立過ぎ電信柱の仁王立

雨が止んだので、散歩に出た。薄暗くなりかけた空に一本の電信柱が伸びていた。僕はこの電信柱を鮮明に覚えている。小学校5年生の時だった。僕は自転車に乗っていた。突然カーブの向こうからダンプカーが現れた。避けようとした。そこにこの電信柱が立ち塞がったのだ。内輪差というやつだろう。僕は逃げ道を失い、自転車は5トン積みのダンプカーの下敷になった。僕は偶然跳ね飛ばされて、反対側の垣根の中に体ごと突っ込んだ。自転車はぐちゃぐちゃになったが、僕はかすり傷だけで済んだ。運転手が僕を背負って家まで連れてきてくれた。警察が来た覚えはないし、医者に連れて行かれた覚えもない。そういう時代だったのだろう。

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点数など関係なくて梅雨晴間

俳句の授業は点数に関係がないからいい。楽しくできる。しかし、今でも「学力テスト」が幅を利かせているらしい。「都の平均や区の平均と比べて我が校は・・・」と学校だよりに書いている学校は多い。学校の立場としては分かるし、私も同じ穴のムジナだ。しかし、くだらないことこの上ない。学力検査の平均点に一番影響を及ぼすのは、極端に点数が取れない児童の数の多寡だ。仮に平均点を80点としよう。80点の子がどんなに頑張っても上幅は20点しかない。それに勉強というものは、大筋できればいい。99点を100点にする努力をするなら、自分の好きなことをさせた方がずっと成長につながる。