俳句フォトエッセイ2026.03.26あの日より七年経ちぬ春の宵小山正見2019年3月3日。雨が降っていた。比留間一成さんを偲ぶ会の写真である。話しているのは詩人の菊田守さんだ。比留間一成さんは詩人であるが、色々な顔を持っていた。陶芸家でもあり、本職は中学校の教師で、非行問題の権威でもあった。ぼくが比留間さんを知ったのは20代の頃だ。父の紹介で小平の自宅を訪れた。当時、比留間さんは練馬区教育委員会の指導主事だったと記憶している。関係が深くなったのは、ぼくが管理職になった40代後半以降だ。彼が関わっていた「日本基礎教育学会」の仕事を手伝い始めたからである。この会は都立研究所の幹部経験者で構成されていた。偉い人ばかりで下働きをする人間が不足していた。仕事を次々と任され、ぼくは、いつの間にか運営の要を担うようになった。校長になると自分で仕事を調整できるようになる。校長室も便利に使える。毎月の例会を切り回し、「私の基礎教育論」を纏めたり、毎年の大会も準備したりした。比留間さんに助けてもらいながら会を切り盛りした10年間は実に楽しかった。並行して、父・正孝を顕彰する感泣亭例会でも比留間さんにお世話になった。代表を引き受けていただいた。困った時には相談にも乗っていただいた。中学校俳句部に講師としておいでいただいたこともある。自らを「風おじさん」と称した彼の飄々とした振る舞いはぼくの理想像でもあった。おしどり夫婦であったが、二人の間にお子さんはなかった。その理由を比留間さんは、「息子を戦争に行かせたくないから」と話してくれた。ぼくは奥様を先に亡くされた比留間さんの詩に涙を禁じ得ない。遺稿「わたしのくらし」より冬の日々 比留間一成まいとし わたしたちは太陽がいっぱいの部屋で麦わら帽子をかぶって本を読みましたねことしも あの部屋であなたの麦わら帽子をかぶってあなたの椅子に座ってわたしは絵本を読んでいます あなたが いなくなるなんて わたしがひとりになるなんて
2019年3月3日。雨が降っていた。
比留間一成さんを偲ぶ会の写真である。話しているのは詩人の菊田守さんだ。
比留間一成さんは詩人であるが、色々な顔を持っていた。陶芸家でもあり、本職は中学校の教師で、非行問題の権威でもあった。
ぼくが比留間さんを知ったのは20代の頃だ。父の紹介で小平の自宅を訪れた。当時、比留間さんは練馬区教育委員会の指導主事だったと記憶している。
関係が深くなったのは、ぼくが管理職になった40代後半以降だ。彼が関わっていた「日本基礎教育学会」の仕事を手伝い始めたからである。この会は都立研究所の幹部経験者で構成されていた。偉い人ばかりで下働きをする人間が不足していた。仕事を次々と任され、ぼくは、いつの間にか運営の要を担うようになった。
校長になると自分で仕事を調整できるようになる。校長室も便利に使える。毎月の例会を切り回し、「私の基礎教育論」を纏めたり、毎年の大会も準備したりした。比留間さんに助けてもらいながら会を切り盛りした10年間は実に楽しかった。
並行して、父・正孝を顕彰する感泣亭例会でも比留間さんにお世話になった。
代表を引き受けていただいた。困った時には相談にも乗っていただいた。
中学校俳句部に講師としておいでいただいたこともある。
自らを「風おじさん」と称した彼の飄々とした振る舞いはぼくの理想像でもあった。
おしどり夫婦であったが、二人の間にお子さんはなかった。その理由を比留間さんは、
「息子を戦争に行かせたくないから」
と話してくれた。
ぼくは奥様を先に亡くされた比留間さんの詩に涙を禁じ得ない。
遺稿「わたしのくらし」より
冬の日々 比留間一成
まいとし わたしたちは
太陽がいっぱいの部屋で
麦わら帽子をかぶって
本を読みましたね
ことしも あの部屋で
あなたの麦わら帽子をかぶって
あなたの椅子に座って
わたしは絵本を読んでいます
あなたが いなくなるなんて
わたしがひとりになるなんて