俳句フォトエッセイ2025.11.18仮装して一日遅れのハロウィーン小山正見10月31日はハロウィンだった。大雨だったが例の渋谷はどうだったのだろう。明けて、11月1日。感泣亭で「木々の詩」の会合があった。突然「ハロウィンをやろう」という話になり、仮装が始まったというわけだ。一日遅れのハロウィンである。ぼくも仲間に加わった。「木々の詩」とは、不登校の親の会の竹内先生が中心になって始められた会で、親と子がのんびり、ゆるく過ごそうという会である。コロナの前から毎月一回のペースで続いている。当時小学校低学年だったSさんは中学生になり、高校生だったKさんは既に成人である。感泣亭で過ごすだけでなく、一緒にカラオケに行ったりコンサートを共にしたこともある。ぼくはたまにしか参加しないのだが、よく続いていると感心する。ある時は、個別の相談会が行われることもある。ぼくは学校の教員だったこともあり、「不登校は困ったことだ」と思ってきた。しかし、この会の方々と知り合い、交流してあるうちに、考え方が変わった。問題があるのは子どもの側ではなく学校の側だということがわかってきた。また、学校に行かなくても成長発達が損なわれるわけでもないこともわかった。特に会の中心にいるAさんの生き方に惹かれた。とにかく明るい。前向き。昼夜逆転した息子さんのこともそのまま受け入れてぐちぐち心配しない。お母さんの明るさとそうした一貫性のおかげだろうか。息子さんは今大学受験の勉強に打ち込んでいる。一日遅れでも何も困ることはないのである、
10月31日はハロウィンだった。大雨だったが例の渋谷はどうだったのだろう。
明けて、11月1日。感泣亭で「木々の詩」の会合があった。
突然「ハロウィンをやろう」という話になり、仮装が始まったというわけだ。一日遅れのハロウィンである。ぼくも仲間に加わった。
「木々の詩」とは、不登校の親の会の竹内先生が中心になって始められた会で、親と子がのんびり、ゆるく過ごそうという会である。コロナの前から毎月一回のペースで続いている。
当時小学校低学年だったSさんは中学生になり、高校生だったKさんは既に成人である。
感泣亭で過ごすだけでなく、一緒にカラオケに行ったりコンサートを共にしたこともある。
ぼくはたまにしか参加しないのだが、よく続いていると感心する。
ある時は、個別の相談会が行われることもある。
ぼくは学校の教員だったこともあり、「不登校は困ったことだ」と思ってきた。
しかし、この会の方々と知り合い、交流してあるうちに、考え方が変わった。問題があるのは子どもの側ではなく学校の側だということがわかってきた。
また、学校に行かなくても成長発達が損なわれるわけでもないこともわかった。
特に会の中心にいるAさんの生き方に惹かれた。とにかく明るい。前向き。
昼夜逆転した息子さんのこともそのまま受け入れてぐちぐち心配しない。
お母さんの明るさとそうした一貫性のおかげだろうか。息子さんは今大学受験の勉強に打ち込んでいる。
一日遅れでも何も困ることはないのである、