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古隅田と呼ばれし川の冬景色

小山正見

古隅田川という名称は埼玉県春日部市と東京都葛飾区に残っている、見た目には「小川」であるが、かつては隅田川の源流であったらしい。この川の隣には「レンゴー」というダンボールを作る会社の工場がある。
ぼくは50歳の時にこの地域にある葛飾区立小菅小学校に校長として赴任した。
小菅小学校は千代田線の綾瀬駅と京成線の堀切菖蒲園駅との中間にあった。どちらの駅から歩いても11分の距離である。静かな住宅地にある学校だった。
小菅に来る前にいた学校は港区立の御成門小学校だった。新橋や浜松町が学区域で、子どもがどこに所に住んでいるのか、さっぱりわからなかった。
ところが、「小菅」は違った。道で保護者ともよく出会った。
「ここには生活がある」
とホッとした。
学区域には旧水戸街道も通っており、近藤勇が通ったと語り継がれていた。街道沿いはそれなりに栄えていたという。それが一変したのは荒川放水路の完成である。
街道は断ち切られ、街は衰退し始めた。それに高度経済成長がとどめを刺した。スーパーができ、街道沿いの商店街はほぼ壊滅したという。ぼくはこの話を郷土史家の竹内さんから聞いた。それをきっかけに「小菅を語る会」を作り会合を重ねた。その記録をPTAの役員だった森田孝さんが「小菅タイムズ」という新聞に作り、全家庭に配布したこともある。
町名も「小菅」だが、「小菅」を冠したマンションは一棟もない。近くに有名な「小菅拘置所」があったからだ。
小菅小学校については、まだまだ書いておきたいことがある。