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天高し品格のある麻布の子

小山正見

45歳で教頭として赴任した麻布小学校で学んだことは、山のようにあった。
平の教員の時には好き勝手に発言し行動すれば良いが、教頭となるとそうはいかない。お殿様である校長先生の意図を読み取り、実現のために動く家老のような存在。それが教頭の立ち位置である。
「区の研究指定校を受けたい」
指定校を受ければ、仕事が大変になる。先生方の多くは反対する。当時の学校はまだまだ組合の力も強かった。説得し、抑え込み、できるだけしこりを残さずに実現するのが教頭の腕ということになる。
「品格ある麻布の子」というのは、麻布小学校の昔から伝統的な校訓だった。今ならなかなかいい言葉だと思うが、当時の雰囲気では「何言っているの!お高く止まって」という感じだ。
伝統があればあるほど、守るのが大変なのだ。
もっと、もっと些細な事柄もある。
ある朝、校長先生から
「玄関のマットが曲がっているから直しておいてください。」
と言われた。
「わかりました」
と答えたが、別に教育活動に関わる話ではないし、急ぐことはないとそのままにしておいたら、お昼になって
「教頭さん、マットまだ直っていないんだけど・・・」
と言われてしまった。
校長であろうが、他の先生だろうが「自分が言ったことをすぐしてくれる教頭」がいい教頭なのだということに気がついた。たくさんの仕事を一遍にすることはできない。上手く順序づけ、不満の出ないようにすることの大切さを感じた。
もちろん、校長先生は校長先生の立場から「お客さんが来た時にだらしない学校だと思われたくない」と気持ちがあったのだろう。
ある日、用事があって早めに退勤した。校長先生にその旨を伝えると「ご苦労様」と言いながら、その目が笑っていないことに気づいた。またある土曜日に出張に出て、帰りに学校に電話をした。校長先生がまだ残っていた。
「校長先生、まだおられるのですか?」
と聞いたら、
「まだ頑張っている先生がいるからねえ」
と返ってきた。
友人と約束しても校長先生がなかなか帰らないのでイライラしたことがある。
その時、気がついた。時間を決めて約束するからイライラするんだ。だったら約束しなければ良い。校長先生が帰るまでは自分は絶対帰らないと決めればいいことに気がついた。
夜遅くまで仕事をする日が続いた。そのうち、校長先生から
「教頭さん、もう帰ろうよ」
と声がかかるようになった。校長先生は、「教頭さんが仕事をしているうちは帰れない」
と気を遣っていたのだ。笑い話のようである。
学校にかかってくる電話は全て自分で取るように心掛けた。当時は携帯もスマホもなかったから、プライベートを含めて全てが学校の電話に掛かってきた。すると、人間関係が見えてきた。誰は誰と親しいらしい。校長先生の人脈はどうなっているかなど全てが手に取るようにわかった。それでどうということはないが、実に愉快だった。世界が見えてきたような気がしたのだろう。
放課後、先生方と話していた。ぼくが滔々と喋っていたら後で、校長室に呼ばれた。
「教頭さん、人の話をとっちゃダメだよ。人に花を持たせなくちゃ」
この話には参った。今でも時々自戒する。
その校長先生も数年前に亡くなられた。
職員室の窓から煌々と光る東京タワーを見ながら仕事をした麻布小には思い出がいっぱいだ。