俳句フォトエッセイ2025.10.27懐かしき声懐かしき人秋うらら小山正見「いろんなところに出かけてますね」と言われる。自分ではそんな気はないが、言われてみると「確かに」と思う。役所に勤めていた時は、ほとんど江東区内だったが、フリーになってからは幅が広くなった。授業や研修会で都内のあちこちに出向くし、それがない日は、俳句フォトの取材に出かけたりする。一日中家にいるのは月に数えるほどだ。この日は西大島。砂町小学校の校内研修会だ。その前に、ある人と会って食事をした。菅原朋之さんだ。菅原さんは江戸川区松江の40年の歴史を持つ学習塾の先生であり、経営者だ。知り合ったのは20年前。ぼくが八名川小学校に赴任した年だ。赴任してすぐにぼくは「ワンランク上の教育」と言うマンションの広告のようなスローガンを掲げ、「塾との連携」をぶち上げた。と言うと格好いいが、内実は算数の講師が見つからず、苦し紛れに塾の先生に白羽の矢を立てただけだった。「昼間空いていて、指導技術が高い人材は何処かにいないか」「塾の先生なら昼間は暇なはずだ。」そうして実現したのが「塾との連携だ」この話はすでに書いた。最初は校内には冷ややかな目があった。「塾は営利事業だ」という不信感が強かった。お手並み拝見というムードがあった。そのムードを変えたのは菅原先生のお人柄だった。その年の「学校評価」で「塾との連携」を続けるかどうかが議論になった。「菅原先生が引き続き来てくれるなら続けたい」と言う意見が大勢を占めた。やはり、どんな制度も最終的には人なのだ。菅原先生は職員の忘年会にも参加してくださり、八名川小学校に居なくてはならない存在になった。菅原先生にお目にかかったのは何年ぶりだろう。随分時間が経っているはずなのに菅原先生はちっとも変わっていなかった。当時とは子育て事情が随分変わってきたが、菅原進学教室は相変わらず堅調のようだ。それはそうだろう。菅原先生の指導を受ける子供は幸せだと思う。今は、子育ては総力戦。学校も塾も力を合わせるべきだと言う意識も当時よりも高まっていると思う。そうそう、菅原進学教室でもYouTubeを始めたそうだ。興味のある方はぜひご覧ください。※コメント欄参照
「いろんなところに出かけてますね」と言われる。自分ではそんな気はないが、言われてみると「確かに」と思う。役所に勤めていた時は、ほとんど江東区内だったが、フリーになってからは幅が広くなった。授業や研修会で都内のあちこちに出向くし、それがない日は、俳句フォトの取材に出かけたりする。一日中家にいるのは月に数えるほどだ。
この日は西大島。砂町小学校の校内研修会だ。
その前に、ある人と会って食事をした。菅原朋之さんだ。菅原さんは江戸川区松江の40年の歴史を持つ学習塾の先生であり、経営者だ。
知り合ったのは20年前。ぼくが八名川小学校に赴任した年だ。
赴任してすぐにぼくは「ワンランク
上の教育」と言うマンションの広告のようなスローガンを掲げ、「塾との連携」をぶち上げた。
と言うと格好いいが、内実は算数の講師が見つからず、苦し紛れに塾の先生に白羽の矢を立てただけだった。
「昼間空いていて、指導技術が高い人材は何処かにいないか」「塾の先生なら昼間は暇なはずだ。」
そうして実現したのが「塾との連携だ」この話はすでに書いた。
最初は校内には冷ややかな目があった。「塾は営利事業だ」という不信感が強かった。お手並み拝見というムードがあった。そのムードを変えたのは菅原先生のお人柄だった。
その年の「学校評価」で「塾との連携」を続けるかどうかが議論になった。「菅原先生が引き続き来てくれるなら続けたい」と言う意見が大勢を占めた。やはり、どんな制度も最終的には人なのだ。菅原先生は職員の忘年会にも参加してくださり、八名川小学校に居なくてはならない存在になった。
菅原先生にお目にかかったのは何年ぶりだろう。
随分時間が経っているはずなのに菅原先生はちっとも変わっていなかった。
当時とは子育て事情が随分変わってきたが、菅原進学教室は相変わらず堅調のようだ。
それはそうだろう。菅原先生の指導を受ける子供は幸せだと思う。
今は、子育ては総力戦。学校も塾も力を合わせるべきだと言う意識も当時よりも高まっていると思う。
そうそう、菅原進学教室でもYouTubeを始めたそうだ。興味のある方はぜひご覧ください。※コメント欄参照