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春立ちて幼なの声の変はらざる

小山正見

メトロ日比谷線、広尾の駅を降りて徒歩7分ほど。ここは笄(こうがい)公園である。そして後ろに見える建物は港区立笄小学校である。ぼくは江東区の隅っこにある学校からこの都心の真ん中の学校に異動したことになる。
まだバブルが弾けていなかった。当時の西麻布は好景気な最中にあった。広尾から西麻布の交差点に向かう外苑西通りは通称「地中海通り」と呼ばれていた。イタリアンレストランが軒を並べていたからである。
土曜日の昼食はそれらの店を巡ったこともあった。クイーンアリスというお洒落なフランス料理屋にも同僚に連れられて行ったことがある。
それらの店はどこに行ったのか。有名なキャンティの支店も姿を消していた。代わりに新しいカフェが何軒もできていた。
転勤した途端に1年生の担任を命じられた。困ったと思ったが、拒否などできない。
しかし、この1年生が面白かった。子どももだが、親も面白かったのだ。
「おやじの会」を呼びかけた。商社マン、官僚、学校の職員、企業の幹部、外交官、社会の一線で活躍している人ばかりだ。まるで異業種交流会のようだった。
ほぼ毎月、夕食を食べながら各業界の話を聴くのは楽しみだった。
教員は世間知らずと言われるが、教員の周りには社会のあらゆる人々がいる。保護者は芸能人も医者もいればヤクザもいるからだ。
ある学校に勤務した時だ。6年生3学期に転入した子がいた。親が警察に逮捕され、子どもは不登校になった。
親のいない間の連絡先は組事務所だった。
卒業式の前日、父親から電話があった。
「今、出所しました。明日の卒業式には子どもをぜひ出席させたい。何を準備すれば良いか」
というものだった。
卒業式当日、子どもは無事に卒業証書を受け取って卒業していった。
その当時から40年近く経つ。あの時の親子は今どのように暮らしているのだろう。
社会は随分変わった。しかし、笄公園の子どもの声は当時と少しも変わらない。