【初心者歓迎】俳句フォトの会 会員申込はこちら

春近しここは原宿神宮前

小山正見

ここは神宮前の交差点、鏡張りのエントランスが目を引く、あの奇妙な意匠の東急プラザの2階である。この辺りには、デザインに凝ったビルが山ほどある。昔の同潤会アパートを建て直した表参道ヒルズも近い。
歩いているのは若者ばかりだ。
実はここは、ぼくにとって縁の深い場所なのである。
結婚し転出するまで、ぼくの本籍地は「渋谷区神宮前1丁目165番地」だったからだ。
写真の正面のビルのちょうど裏側に当たる。
そこに父が育ち、祖父が住んでいた家があった。大正から太平洋戦争が終わるまでの期間だ。当時は、明治通りもなく、明治神宮前への参道の一画に過ぎなかった。代々木の練兵場も近く、寂しい東京の郊外といった場所だったようだ。家の前に教会があったと言うから、それなりの住宅地ではあったのかもしれないが。

祖父は、内務省の傘下にあった港湾協会に勤める一方、潭水と号し、盆景神泉流の家元でもあった。
新聞紙を粘土がわりにした新手法を編み出し、日本盆景協会の設立の立役者でもあった。この盆景は昭和60年代まではかなり流行ったが、高度経済成長の時代に廃り、今は影も形もない。
我が家に伝わる伝説は「上野動物園の猿山は小山潭水の設計による」とするものだ。
かつて鈴木健二アナウンサーが司会をしたNHKのクイズ番組「面白ゼミナール」に上野の猿山のルーツを問うクイズが出され、祖父の写真が映ったことがある。
父・正孝は『假山記』というエッセイで上野の猿山に触れている。
その書きぶりはこうだ。
「今般、上野動物園猿山廃止取壊しに決定いたしました由、残念至極に存じます。つきましては御不用になりたる猿山を小生に御払下げ下さるわけにはいきませんでせうか。」
そして
「記録にもあることと存じますが、実は該猿山の原型は小生の父、盆景家潭水が当時の東京市の依頼により作成したもので、小生にとつては父の記念ともなるもので、もしお払下げ賜はりますれば、永く大切に保存いたしたく存ずる次第でござります。顧りみますれば、昭和ひとけたの頃かとも存じます。父がある日多数の猿の姿態を模したる小さき人形を(猿の人形とはをかしくも存じますが)持つて帰宅いたし、かの猿山の原型になりました盆景の作成にかかりました。以来数月、徹夜の日もあり、苦心惨憺の末、たとへば、猿の生態の研究などを致す日もあり、やつと完成までこぎつけましたことを記憶するものでござります。もし小生の手許にお下し下されば、庭の假山ともいたし愛撫して保存いたす所存にござります」と続く。
浮世離れしたこの願いは次のように締めくくられている。
「もし、僕の「假山」上野動物園の猿山が僕に払ひ下げられることになつたらどうであらうか。どこに置くのか。残念ながら僕は猿山を置く庭を持たない。はかない望みの心ばかり。せめて、一度だけ、月夜の晩、猿山を愛撫するか。あの左側の方の峯によぢ登つて、頂上で、口をあけて叫んでみることをしてみるか。これらすべて夢まぼろし。・・・(詩集『風毛と雨血』より)」
これを読みながら、ぼくは猿山が上野にまだあることに安堵すると同時に本籍地を神宮前1丁目165番地のままにしておけば良かったとひどく後悔した。