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小山正孝

俳句フォトエッセイ

成り行きの台風一過の出逢ひかな

朝から晴れた。いったい何日振りだろう。台風一過といってもよい。この日は、三郷での仕事の帰りに入谷で降りた。「ヒラノマコト展」が開催されていたことをふと思い出したからだ。前回は、京王プラザホテルだった。会場のいりや画廊は少しわかりにくい場所だったが、スマホの地図を頼りにたどり着くことができた。「今回は、大きい絵を展示したかったから」と平野さんは、この画廊を会場にしたわけを話してくれた。彼は、ぼくよりも5つ年下だが、現在も早稲田大学の博士課程で文化人類学を専攻している。彼が取り組んでいる現代アートの源泉を探ることが、その理由らしい。平野さんは、40年以上前に父・小山正孝と出会っている。

俳句フォトエッセイ

本を読む楽しみ喜び涼新た

若者の本離れが言われて久しい。若者だけではなく、ぼく自身にしても昔と比べると本を読む量は激減している。我が家から歩いて3分の木月キッチンで毎月読書会が催されている。先日初めて参加した。「短歌と俳句の本を読む会」だったからだ。何冊かの詩集や句集を持参した。詩集『我が家に天使がやってきた』服部剛詩集『二の舞』上手宰詩集『愛しあふ男女』小山正孝句集『保健室登校』福本啓介句集『給食のおばさん』北大路翼どの本も参加者の中で話題となった。楽しい2時間だった。初参加の一人の青年がいた。「どうして参加されたのですか?」という問いに次のような答えが返ってきた。「8月1日から突然読書にハマったんです。

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曝書して父の書きたるラブレター ②

父・小山正孝は生前、丸山薫賞をいただいた『十二月感泣集』など、8冊の詩集を刊行している。父の死後、書斎からノートに書かれた膨大な数のソネットが見つかった。『逃げ水』や『愛しあふ男女』と重なる部分があるとはいえ、なぜこれらのソネットを発表しなかったのか。今となっては不思議である。坂口昌明さんがこれらの詩篇を整理し『未完ソネット集』を編んでくださった。これらの詩篇には、正孝のナマの感情が溢れており、そのことが逆に躊躇を生んだのではないかとも思う。母へのラブレターの中にも詩の草稿らしきものが含まれていた。今回は、それを紹介したい。

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蝉時雨緑の中の九品仏

午前中は俳句の会だったが、午後は空いた。すると、家の中に留まっている気にならない。いつもなら、お気に入りのカフェに出かけるのだが、夏休みらしく閉店している。あてもなく自由が丘で降りた。駅前に建築中のビルは開店までまだ2、3か月かかりそうだ。九品仏に行こうと思ったのは、歩き始めてからだ。父の散歩もきっとこんな感じだったのだろうと思った。母親に「どこにいくの?」と聞かれ、「自分にだってわかんないんだ」と答えたという。道道には、瀟洒な住宅が並ぶ。アウディやクーパーミニなどの車が停めてある。所々に、これまた洒落た店もある。美容室だったり、ブティックだったりする。久しぶりの九品仏浄信寺である。

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不純とはいつたい何か梅雨深む

御徒町にある「不純喫茶」については、【銭湯紀行】その15で若干触れた。奇妙奇天烈で何となく「反道徳」的な匂いがする。そして、そこに魅力がある。すぐ思い出すのが「不純異性交友」という言葉だ。大人が未成年に対して性的な交際をすることは、青少年保護条例などで禁じられている。当然の話だ。しかし、「不純異性交友」にはそれとは違ったニュアンスがある。未成年同士の少し危なっかしい交際を「そんなことはしてはいけません」というニュアンスで大人の立場から表現したものだろう。ぼく自身については、その方面には全く奥手だったので縁遠かった。

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梅雨晴の狭ひながらも露天風呂

【銭湯紀行】その13学芸大学ぽかぽかランド鷹番の湯学芸大学は、ぼくの帽子を作ってくれる帽子屋さん「Virlidian」があるところだ。この日は風呂に入るために降りたのだが、ここが「鷹番」であることに改めて気がついた。鷹番には、戦前に母が住んでいた家があった。ぼくは、一度だけ母に連れられてその場所に行ったことがある。この日、ぼくは母と行ったであろう道を辿ってみた。記憶の中では、緩やかな坂の途中にあったはずだが、行ってみると坂そのものがなかった。すでに婚約をしていた母を奪い取った正孝は、母とこの道を幾度となく歩いたことであろう。母は親の怒りを買い、ある時は家の奥の部屋に閉じ込められたと書いている。

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花冷の我を迎ふる我が家かな

夜になるとまだ寒い。その上、冷たい雨だ。駅から家までの距離が遠く感じる。ようやく我が家だ。鍵を開けて中に入ると暖かい。寒さからやっと解放された気分だ。母が亡くなってから、ぼくはこの家に住んでいる。丸12年ということになる。表には、小山正孝の表札がまだある。今の家が建ったのは、今から60年前だ。我が家があるこの場所は、同潤会の分譲住宅だった。6畳、4畳半、3畳に狭い台所が付いていた。老朽化が進み、引越しも検討したようだが、結局家を建て直すことを選んだ。設計を依頼したのは、建築家の生田勉氏。