俳句フォトエッセイ2025.06.22枇杷西瓜(びわすいか)亀戸中央商店街小山正見「オォー!まるごとの西瓜だ!」ここは、亀戸中央通り商店街である。下町ど真ん中。こんな八百屋が何軒も軒を連ねている。今日は、亀戸近くの某小学校で教員向けの俳句研修会がある。毎年、この時期に研修会をしている。調べてみたら、コロナ下の2021年からずっとだ。久しぶりに天麩羅が食べたくなった。そう言えば、亀戸駅前のアトレの6階に天麩羅屋があったはずだ。エレベーターを上る。一渡りあるいてみたが、あったはずの店がない。どうやら新しい店に場所を譲ったようだ。ここでも生き残るというのは、大変なことなのだろう。亀戸のアトレは、広くなっていた。隣り合ったビルを買収したのだろう。スープストックやスターバックスなど流行りの店を取り込んでいた。一年で様相は変わる。亀戸と言えば「亀戸餃子」だ。ぼくの知っている限りでこの店は3店舗ある。大島と錦糸町とこの亀戸である。そして、亀戸が本店だ。大島と錦糸町のお店では、ラーメンもあるし、チャーハンもある。それなのに、亀戸の本店は餃子だけで、あとは何も無し。ご飯もラーメンもない。餃子を食って酒を飲むだけ。考えるとすごくディープな店だ。江東区のもう一つのディープで下町的な商店街と言えば、砂町通り商店街だろう。ここは、全国的に有名。テレビ番組「アド街ック天国」などでは常連である。500メートルの間に150の店舗がひしめいている。道の狭さが逆に賑わいを演出している。考えてみると、これらの賑わっている商店街には、共通の特徴がある。一つは、基本的に地元の購買層に支えられていることだ。これがなければ、そもそも商店街は成り立たない。道幅が狭く、車が侵入できないことも条件だろう。元住吉のブレーメン商店街も武蔵小山の商店街もその点では同様だ。目に見えないのは、「商店街」を運営する組織の強さだろう。牽引する人がいて、強力な組織がなければ、この時代に持続することは不可能だ。それにしても、あの丸ごとの西瓜、誰が買っていくのだろう。
「オォー!まるごとの西瓜だ!」
ここは、亀戸中央通り商店街である。下町ど真ん中。こんな八百屋が何軒も軒を連ねている。
今日は、亀戸近くの某小学校で教員向けの俳句研修会がある。毎年、この時期に研修会をしている。調べてみたら、コロナ下の2021年からずっとだ。
久しぶりに天麩羅が食べたくなった。そう言えば、亀戸駅前のアトレの6階に天麩羅屋があったはずだ。
エレベーターを上る。一渡りあるいてみたが、あったはずの店がない。どうやら新しい店に場所を譲ったようだ。
ここでも生き残るというのは、大変なことなのだろう。
亀戸のアトレは、広くなっていた。隣り合ったビルを買収したのだろう。スープストックやスターバックスなど流行りの店を取り込んでいた。一年で様相は変わる。
亀戸と言えば「亀戸餃子」だ。ぼくの知っている限りでこの店は3店舗ある。大島と錦糸町とこの亀戸である。そして、亀戸が本店だ。大島と錦糸町のお店では、ラーメンもあるし、チャーハンもある。それなのに、亀戸の本店は餃子だけで、あとは何も無し。ご飯もラーメンもない。餃子を食って酒を飲むだけ。考えるとすごくディープな店だ。
江東区のもう一つのディープで下町的な商店街と言えば、砂町通り商店街だろう。ここは、全国的に有名。テレビ番組「アド街ック天国」などでは常連である。500メートルの間に150の店舗がひしめいている。道の狭さが逆に賑わいを演出している。
考えてみると、これらの賑わっている商店街には、共通の特徴がある。
一つは、基本的に地元の購買層に支えられていることだ。これがなければ、そもそも商店街は成り立たない。
道幅が狭く、車が侵入できないことも条件だろう。
元住吉のブレーメン商店街も武蔵小山の商店街もその点では同様だ。
目に見えないのは、「商店街」を運営する組織の強さだろう。牽引する人がいて、強力な組織がなければ、この時代に持続することは不可能だ。
それにしても、あの丸ごとの西瓜、誰が買っていくのだろう。