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俳句フォトエッセイ

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美濃の春先ずは卵かけご飯

春と書いたが、ちっとも春じゃない。寒い。Apple Watchに現在の気温を聞いたら「外は六度です」と言う答えが返ってきた。今、美濃の大垣に来ている。「高校生東西俳句決戦in大垣」というイベントの審査員を務めるためだ。「決戦」とはさすが関ヶ原の地である。明日が本番なのだが、折角なら少し早めに来て大垣城にでも行ってみるかという腹だったが、この寒さではそんな気も起きない。駅の一階に卵かけご飯を食べさせる店があることを思い出した。美濃味匠というお惣菜やお弁当も売っている店である。ちょっとおかずもついていて、軽い昼飯としては丁度いい。写真の卵かけご飯が六百円。コーヒー付きだ。

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春夕焼明日天気になあああれ

そう言えば、子どもの時下駄を放り投げて「明日天気になぁぁれ」とやったものだ。今でも脱げた靴で占う子どももいるようだが(笑)夕焼けは美しい。夕焼け空だと次の日は晴れると言われていた。西から天気が変わることを昔の人は知っていたのだろう。この夕焼けの美しさに気付いたのは五十六歳の時だった。その理由は俳句を始めたからだ。俳句を始めたら、途端に世の中が美しくなった。自然がないと言われた都会の路地にも可憐な花が咲いていることに目がいくようになった。雲の移りゆく変化が面白くなった。私は二十四歳で教職について六十二歳で退職するまでその職から離れなかった。

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句座囲む人暖かき彼岸かな

子規に「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」という句があるが、昨日は寒いお彼岸の中日だった。午前中のポカポカ陽気が嘘のようだ。雷雨まで襲ってきた。雪が降るかもしれないという予報もあった。感泣亭句会は3ヶ月に一度、3月、6月、9月、12月の第3水曜日を定例会にしている。まだ母が生きていた2011年頃から始めたので、すでに10年以上の歴史がある。2013年3月の句会で、母は眠りたし春眠のままそのままでと詠んだ。そして、その一年後の2014年3月23日にこの世を去った。母はお洒落な人だった。若い時から九十歳を過ぎた死の直前までその姿勢は変わらなかった。

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春宵の大東京を一望す

よく見ると、写真の右側にスカイツリーが写っているのがわかるだろうか。何処かに東京タワーも写っているはずだ。手前の帯状に黒々と広がっているのは多摩川である。これが東京か!感慨深いものがある。大学を卒業してから約50年を私はこの東京で過ごした。母が年老いて川崎に戻ってからも約10年は東京に通勤した。川崎が本拠地らしくなってからまだ2年に満たない。最近になって、ようやく川崎の住人である自覚が出てきた。川崎で暮らさなくっちゃ。そう思うようになった。しかし、川崎のことは全く知らない。そこで本屋で『ルポ川崎』という本を買って読んだ今年は川崎市政100年にあたるというので記念の写真集にも目を通した。

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こじ開けて草の芽出る日向かな

昨日、「大花野の会」を我が家、感泣亭で行った。認知症を発症した妻との生活を綴った句集『大花野』を発行してから2年。多くの方々が読んでくださり、また広げてくださった。会では、一人一人が『大花野』への思いを語ってくださり、実に温かい時間を共有することができた。お客さんが来るので、家の前を掃除した。すると、コンクリートの割れ目からのぞいている草の芽を見つけた。すごい生命力だ。我が家の近くにも空き家を時々見かけるが、植物が繁茂し、あっという間にとりかこまれてしまう場面と繋がった。なにしろ、ほんのわずかなコンクリートの隙間から緑が広がるのだ。

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猫の恋かれてしまつた木の根元

忸怩たる思いだ。何で枯れてしまったのか、否、枯らしてしまったのか。我が家は緑の多いうちだった。煉瓦塀には、アイビーが繁茂している。庭では紫陽花が花をつける。ローズマリーやラベンダーの鉢がいくつも並んでいた。「我が家の緑」と題するフォトブックを作ったこともあるほどだった。妻が植物を愛していたからだ。妻は毎日植物に水をやった。散水用の長いホースで庭の隅々まで。暑い日も寒い日も。その妻が施設に入居した。それを悲しむように、ラベンダーが枯れた。あの強靭なローズマリーも枯れた。気づいた時には手遅れだった。緑豊かだった家の前には殺風景な大きな植木鉢だけが無惨に残された。僕のせいだ。

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木蓮の淡き毛深き芽立ちかな

この木蓮は、妻がお世話になっているグループホームの近くにある。面会に行くたびにこの木蓮の前を通る。認知症を患っている妻をホームに入れてから二年半に近い。(詳しくは、句集『大花野』朔出版刊参照)コロナ下であったが、ほぼ毎週ホームに行き、妻に会うことができた。従って、木蓮とも毎週お目にかかった。芽吹き、花が膨らみ散っていく。木が緑になり、大ぶりの葉に覆われた。夏には葉が黒く焼き焦がれた。あまりの猛暑のためか、それとも台風による塩害か。やがて冬になる。葉は散るが、枝の先に花芽が既についている。春に向かって、その花芽が次第に大きく太っていく。木蓮の花芽の特徴は産毛が生えていることだ。

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注文はスマートフォンや春の昼

偶然入った何の変哲もない定食屋である。肉から魚まで何でもありそうなので、食べるものも決めずに入った。すると、メニュー表に「注文はスマートフォンで」と書いてある。QRコードが表紙に大きく貼ってある。こんな町の定食屋でもこれか!一瞬驚いた。注文は備え付けのタブレットからはかなり普及している。大手のファミリーレストランは全てこのシステムだ。スマートフォンで注文というやつ、僕は三回目の経験である。前の二度はちょっとお洒落なコーヒーショップでであった。「お洒落な店は、注文の仕方もお洒落だなぁ」会計もその場で済んでしまう。最初は戸惑ったが、少しだけ未来に行った気分になった。

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雨傘の春の模様となりにけり

数日良い天気が続いたが、今日は雨。ブレーメン通りに出ると傘の波だ。一時、傘と言えば皆ビニール傘だったが、少し様子が変わっている。優しい色調のカラフルな傘が結構多い。いかにも春の様相だ。昔、傘の歴史を考えたことがある。記憶によると傘の発祥地はエジプトだということだ。雨用ではなく、日傘だったらしい。佐野洋子に『おじさんのかさ』という本がある。「あら、かさをさしたんですか、雨が降っているというのに」という台詞が印象的だった。傘はさすものではなかったのだ。傘は都会の産物だというのが、僕の意見だ。長距離の旅行者にとっては、傘は邪魔者だろう。蓑や合羽の方が合理的だ。外で作業する場合も同様だろう。

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春光を集めて海の観覧車

俳句フォトでは、気になった場所(もの)の写真を撮り、それを元にして俳句を詠むのが普通であり、推奨する方法である。しかし、この作品は俳句が先にできた珍しい例である。かつてお台場にヴィーナスフォートという商業施設があった。近くに住んでいたこともあって、気晴らしに時々出かけたことがある。隣に大きな観覧車があり、夜はネオンで輝いていた。それを思い出して、春光を集めて回る観覧車という句を詠んだ。ところが、この「回る」が問題だ。観覧車は回るものだ「回る」とわざわざ言う必要はない。この三文字に悩んだところ、横浜の観覧車が浮かんだ。そこで、春光を集めて海の観覧車としたら、句会でも人気があった。