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春を代表する花。「花」といえば桜をさす。咲いてはすぐ散る潔さが愛されてきた。

季語桜

(さくら)[春]

春を代表する花。「花」といえば桜をさす。咲いてはすぐ散る潔さが愛されてきた。

この季語の俳句フォト:10句

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俳句フォトエッセイ

まだまだと田園調布の桜かな

今日は一転して雨模様だが、昨日は雲一つない青空に桜が映えていた。花冷えのおかげで、桜の花の命はわずかに延びているようだ。それにしても、田園調布駅前の桜は勢いが良い。すでに枝の最上部まで花開いている。上野公園の桜では、そのボリュームが20年前と比べると30パーセントから40パーセントも減っているというが、確かに昔の桜はどこでも視界を埋め尽くすほどの花に満ちていた気がする。ご存知のように、ソメイヨシノはクローンである。自然の山桜よりずっと短命だ。弘前城の桜はりんご栽培の技術を使い、剪定を適切にすることで、桜の寿命を延ばしている。しかし、それも時間の問題だろう。

俳句フォトエッセイ

東京を一気に埋める桜かな

東京の開花は3月19日だった。それから10日ほど、今や桜は満開である。東京の桜の名所は至る所にある。上野公園はもちろん、千鳥ヶ淵の桜も見事だ。目黒川の夜桜は幻想的とも思える。しかし、いかんせん人が多すぎる。ござを敷いての花見など叶うべくもなく、立ち止まることすら難しい場所もあ。昔、日本の桜は山桜だった。種類も多く、咲く期間も幅があったが、それを劇的に変えたのがソメイヨシノである。染井村(現北区駒込周辺)で作られたというこの品種は接ぎ木や挿し木によって増える。つまり、皆同じ一つの命なのである。ソメイヨシノは日本人の桜のイメージにぴったりだった。

俳句フォトエッセイ

ほんのりと色をつけをり桜の枝

3月から感泣亭で、新たにお花の教室が始まることになった。初回は3月20日(金)(春分の日)に行う予定である。桜の枝は、お花教室の先生からいただいたものである。既にほのかに蕾が色をつけている。ますます感泣亭に文化の香りが漂うことになる。毎月第4火曜日の「サロンde感泣亭」では、香りやカービングのミニ講座もあるが、定例で「土井伸の楽しい書の教室」「詩人服部剛の言葉の部屋」「初心者俳句セミナー」「読書会」「気功教室」などが行われている。今月の末には好評だった「A I講座」の2回目も予定されている。「感泣亭」とは聞き慣れない名前だが、元々は、詩人であったぼくの父•小山正孝が自分の書斎につけたものだ。

俳句フォトエッセイ

星の如闇を埋むる桜かな

夕飯を食べた後、散歩に出かけた。ようやく体調が元に戻ったということだ。3月の後半はとても歩く気力はなかった。風邪か花粉症かわからないが、微熱のような症状があり、体が重くだるかった。それがようやく抜けたようだ。くねくねした道を通り綱島街道まで出て、そこから戻るというのが基本コースだ。早足だと15分から20分。今日は、綱島街道を通り越して住吉桜の様子を見てきた。大分葉桜になっていた。花の塵が木の根元に吹き寄せられ、二ヶ領用水には花びらが流れていた。「次の日曜日まではもちそうにない」と思いながら、帰路についた。若い時は、ぼくの辞書に「歩く」という言葉はなかった。

俳句フォトエッセイ

舞ひ初むる時を待ちたる桜かな

花冷のおかげで桜の花がもった。満開の桜も美しいが、その散る様はより美しいと感じる。勝ち誇る美よりも滅びゆく美の方が心に刺さるのだ。それは、人間は誰しも死ななければならないという運命と重なるからだろう。前に紹介したかもしれないが、本日は母の忌なれば花吹雪正見という句を詠んだ。父の生きている間の母は何処となくか弱い感じがしていた。しかし、実際には強い人だった。ぼくは両親と一緒に住むことを見越して、広めの住宅を購入した。しかし、その住宅に入ることなく、父は亡くなった。ぼくは母に「一緒に住もうか」と提案した。すると、母からは、「なぜ一緒に住まないといけないの。

俳句フォトエッセイ

二ケ領用水さくらの壁のある如く

東京新聞川崎版4/6「小山正見のかわさき俳句フォト」です。本年度もよろしくお願いいたします。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/396657 二ケ領用水さくらの壁のある如く冷たい雨がやみ、気温が上がった。たちまち桜が開花し、あっという間に満開になってしまった。宿河原の二ケ領用水沿いの桜並木は美しい。約300本のソメイヨシノが壁のごとくに空間を埋めている。ソメイヨシノは、接ぎ木で複製されたクローンである。同じ遺伝子を持つので、一斉に咲き一斉に散る。その美しさは、日本人の理想の桜に重なる。接ぎ木や挿し木で大量に栽培することができ、比較的安価。

俳句フォトエッセイ

咲かんとす大垣城の桜かな

昨年に引き続き大垣市で行われた「高校生東西俳句決戦in大垣」に審査員として参加した。「夏の俳句甲子園に匹敵する大会にする」。実行委員会の鼻息は荒い。高校生のディベートに舌を巻いた。初見の俳句に対して、すぐさま鋭い評を加える。反論も噛み合っている。そのディベートが途切れない。能力と集中力の高さが際立っている。素晴らしい高校生の力を見せてもらった。この高校生の才能を発揮させ、その力をみんなに見せ、自信に繋げたのはこの大会があったからだ。西田拓郎先生をはじめ、準備された方々の努力に感謝したい。その感動に加えて、ぼくにとっては個人的に素晴らしいことが二つあった。一つは外山一機さんに出会えたことだ。

俳句フォトエッセイ

桜咲くコンクリートの隙間より

池袋である。豊島区民センターの前の広場。桜が満開。屋台が出て、その前で若い男女がスマホで桜をカメラにおさめている。どこもかしこも桜。広場はコンクリートで覆われているのに、広場の周りの数本の桜の根元だけに僅かに土が見える。これが自然と言えるのだろうか。誰もが違和感を覚えるのではないだろうか。では、翻って目黒川の桜はどうだろう。千鳥ヶ淵の桜はどうだろう。これだって、上空から見れば、桜のミニチュアのテーマパークのようなものだ。安上がりのソメイヨシノを密植したおかげで、今では、日本中が桜のテーマパークのオンパレードになっている。ミニチュアの自然を作るのは日本人の最も得意とするところだ。

俳句フォトエッセイ

漆黒の闇の中へと桜かな

4月6日(土)の東京新聞川崎版に第一回の「小山正見の俳句フォト」が掲載された。大きな写真と巨大なフォントの俳句、それにエッセイである。https://www.tokyo-np.co.jp/article/319624大変ありがたい。俳句フォトの知名度を上げることにも、俳句フォトの普及活動に大いなる後押しをいただいた気持である。振り返ってみると私の活動のはじめは「どの子もできる10分間俳句」であった。みんなができるように俳句のハードルを下げることが私の仕事だと考え取り組んできた。俳句フォトのスローガンも「誰でもできる俳句フォト」である。実際、写真を媒介にすると、俳句のハードルが三段階位下がる。

俳句フォトエッセイ

大垣のこれより開く桜かな

大垣は松尾芭蕉の「おくのほそ道」の旅の結びの地である。蛤のふたみにわかれ行秋ぞ芭蕉の句を詠み、舟に乗って、この「写真に写っている川」を下り桑名を経て二見ヶ浦に向かったとされている。西田拓郎先生のお話によると、実際に大垣で大量の蛤の殻が見つかったとの事。「蛤」は単なる比喩ではなさそうだ。雨模様の中「高校生俳句決戦in大垣」のイベントが始まった。岐阜の高校が中心だが、北海道の旭川からも、和歌山からも選手が参加した。最初は四つの会場に分かれ予選。対戦する一句一句について、審査員が赤白の旗をあげて勝負を決めていく。高校生の緊張感が伝わってくる。本来、俳句に勝ち負けはないと私は思う。