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フラミンゴ

俳句フォトエッセイ

閉店まで粘る輩や秋灯し

この日もカフェの閉店まで粘った。4時間は居ただろうか。図書館でものを書いたり、本を読んだりすればいいのに、どうもあの堅苦しい静寂が苦手だ。感泣亭には、父の残した立派な書斎があるし、スペースもある。冷暖房は自分の具合にあわせられるし、好きな音楽を聴ける。よほど便利だとは思うのだが、何だか落ち着かない。思い出してみると、ぼくの「書斎」の半分は喫茶店だった。最初は、浅草のフラミンゴだ。この店は国際通りにあり、今でも2階のバーは残っているはずだ。お神輿で有名な宮本卯之助商店の一つおいた隣にあった。鮮やかな緑色の壁に大きな絵がかかっていた。前金制で濃いフランス風のコーヒーが出てきた。

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夏の果てぼくの時代が朽ちていく

よく寝ているはずなのに、体が重いと感じる日が続く。今まで、エスカレーターには乗らず、階段を上ることを旨としていたが、とてもダメだ。階段を上ると、太腿の裏が痛い。息が上がる。これが急に襲ってきた暑さのせいだといいのだが。湯島に出た。ぼくは、いろいろなところに行きつけの喫茶店を持っている。酒を呑まない代わりのコーヒーの店だ。湯島には「フレンチヴォーグ」という店があった。シックで白い壁の落ち着いた店だ。深煎りの珈琲がうまい。トイレが他と共用でわざわざ鍵を借りて入った。店の前まで行って、はじめて無くなっていることに気づいた。ドアだけは昔のままだ。内装は取り払われ、廃墟のように広がっている。

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風死すや二階に無料喫煙所

神保町の裏通り、お茶の水小学校の近くだ。御茶ノ水小学校の前身、錦華小学校は夏目漱石が学んだ学校だ。一画に「吾輩は猫である。名前はまだ無い。明治十一年夏目漱石錦華に学ぶ」と刻んだ碑がある。ふと見上げると蕎麦屋の2階にあるのは、無料喫煙所だった。ぼくは、煙草は吸わない。誰でも同じだろうが、未成年の時には格好をつけて煙草を燻らせたことはある。しかし、煙をしっかり肺の奥まで吸い込む勇気がなかった。それが良かったのか、喫煙という習慣をぼくは持たない。その後、幸か不幸か「肺結核」と病気にかかったために今に至るまで煙草に縁がない。就職した1970年代は喫煙社会であった。

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縞馬の縞の動かぬ春日向

写真のシマウマは、正式には「ハートマンヤマシマウマ」と言い、ロバの仲間だそうだ。このシマウマのいる場所は、夢見ケ崎動物公園。川崎市唯一の動物園だ。年中無休。しかも入園料は無料というから驚く。幸区の加瀬山の山頂にある。最寄りの駅はJRの新川崎か鹿島田。川崎駅からバスに乗り、夢見ケ崎動物公園前のバス停で降りてもいい。日曜日や休日、園内は親子連れでにぎわう。ライオンや虎のような猛獣、象・キリンなどの大型動物はいないが、人気のレッサーパンダやペンギンなど51種282点の動物が飼育されている。親しみやすい動物が多く、子どもが動物と触れるには絶好の動物園と言えるだろう。春の日差しに誘われて、園内を巡った。

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ふみちゃんのマーマレードは春の味

ふみちゃんパンは、やはり最高。昨日の晩は早速「コンビーフパン」を食べた。ゴロゴロとでかいコンビーフが、これでもかというほどに詰め込まれている。しかも自家製。これが330円!倍額だとしても納得の値段だ。今日は再び、夢見ヶ崎動物公園に出かけた。寒波最終日だというが、春の日差しばかり感じる。調べたら動物園までは歩いた方が早いことがわかった。尻手黒川通りを歩いていたら、突然「下タ村工務店」の看板に出会った。五十年前、我が家の増築を担ってくれた業者さんだ。家はシャッターが全て閉められていたが、懐かしい人に出会った気分だった。歩くと必ず何かに出会うのが不思議だ。夢見ヶ崎動物公園は、加瀬山の頂上にある。

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東京は遥か彼方の春霞

ここを訪れるのは三回目である。初めは妻と散歩のつもりで来た。二回目は、孫を連れて娘の家族と一緒に来た。我が家からはバス一本。高齢者パスを持っているので、半額の百十円で来られる。月曜日なので休みだと困ると思ったが、大丈夫だった。夢見ケ崎動物公園。市営の動物公園で、入場料はタダである。電車だと南武線の鹿島田か新川崎の駅が近いのではないか。それでも徒歩で二十分ほどかかりそうだ。この動物園、ライオンや虎などの猛獣はいないが、かなり本格的である。ペンギンやフラミンゴまでいる。フラミンゴの毛が赤いのは、エサの色素に依ることを初めて知った。体長が1メートルを超すゾウガメがいる。

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大寒の喫茶店てふ居場所かな

今なら「カフェ」だろう。喫茶店という言葉には昭和の匂いがする。その昔は純喫茶と言った。お酒は出さないという意味が「純」に込められているのかもしれない。喫茶の「喫」は喫煙の「喫」でもある。必ず、テーブルの上には灰皿が用意されていた。店ごとに工夫を凝らしたマッチがあり、それを集めて楽しんだりした。純喫茶が姿を消し、一時街に喫茶店というものがなかった時代があるように記憶している。そこに登場したのが「ドトール」だ。スタンドで椅子がない。ただ、コーヒーを味わうためだけの場所だった。いきなりステーキという店もあるが、こちらも開店当初は椅子がなかった。アメリカの文化なのだろうか。