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山崎剛太郎

俳句フォトエッセイ

爽やかや佐伯誠の手紙展

台風の雨が激しい。会場は、田園調布と自由が丘の間にある「スペースengawa in」である。ここは、ぼくにも懐かしい場所だ。妻と一緒の散歩でよく立ち寄った。緑に囲まれた庭をもつ民家、素敵な空間だ。佐伯誠さんがこの場所をこよなく愛していたことを初めて知った。荒天にも関わらず、会場には30人を超す人々が集まっていた。壁には、佐伯さんが生前に送った手紙や葉書、ファックスの類がこれでもかとばかり展示されていた。単なる手紙なのに、そのどれもが美しい。字に味があり、それにちょっとしたイラストが添えられている。佐伯さんは、ポップな才人なのだ。

俳句フォトエッセイ

梅雨明けるそして自由がやつてくる

これは佐伯誠のもじりだ。原文は次のとおりである。最初にあったのは街だ。それからジャズだ。そして自由が歩いてきた。何と洒落たことを言うんだろう。祐天寺のparlourうみねこで7月12日までの行われていた「千の夜と108のマッチ」展。横浜の伝説的なジャズ喫茶ちぐさの貴重なマッチのコレクションが披露された。これらのマッチをモチーフに松本祥孝氏の写真と佐伯誠氏が文章がマッチングさせている。佐伯誠がこの世を去ったのは、昨年の8月11日。考えてみればまだ一年経っていない。詩人で、フランス映画の字幕翻訳の第一人者だった山崎剛太郎の縁で知りあった。妙に馬が合った。

俳句フォトエッセイ

何かしら文化の香り処暑の石

23日は二十四節気では「処暑」である。「処暑」とはそろそろ暑さもおさまる頃という意味である。角川の歳時記には水平にながれて海へ処暑の雲柿沼茂という例句が一つだけ載っている。この句からは秋の涼しさが感じられるが、今年はそんな風にいかない。暑さが空気の中に居座り、満ち満ちている。処暑の石組も写真では涼しげだが、実際は暑さ染み出しているのかもしれない。ここは地下鉄神保町の駅だ。岩波ビルの出口の石組なのである。このビルの最上階に岩波ホールがあった。色々な名画が掛かったが、一番印象深かったのは、「モリエール」である。モリエールは17世紀のフランスを代表する劇作家、俳優である。

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おじちやんの形見纏ひぬ弥生かな

3月11日。東日本大震災から14年である。あの日、あの時、僕は江東区役所の6階にいた。書類ケースから書類が飛び出し、天井から吊ってあった看板が落ちてきた。帰宅すると、食器棚が1メートル程動いており、中の食器は半分程割れていた。妻は「一人でいるのは怖い」と隣の家に身を寄せていた。今日一日中、テレビは震災の話を流していた。3月11日は、ぼくにとってもう一つ重要な意味がある日だ。山崎剛太郎さんの命日だからだ。剛太郎さんは、フランス映画の字幕翻訳のレジェンドである。剛太郎さんは父・小山正孝の親友だった。府立四中以来の仲だ。「山崎剛太郎『薔薇物語』刊行に寄せて」という正孝の文章に次のくだりがある。

俳句フォトエッセイ

春夕焼またこの場所に来ています

散歩の続きである。「お店の人」というより、「家の人」という感じの女性に掛軸の由来を尋ねてみた。ご先祖がご商売をされていて、東郷家に出入りしていたような話をして下さった。この近くには「奥沢海軍村」というのがある。関東大震災の後、海軍省のある虎ノ門と横須賀の両方に行きやすいというので、海軍士官が住み始めたのがきっかけらしい。現在も当時の面影が残っているという。この地に東郷平八郎!ぴったりだ。ゆるい坂を下ると南国飯店がある。ここで一度小山正孝を顕彰する「感泣亭例会」を開いたことがある。現在のスペース感泣亭ができる前のことだ。南国飯店を見て、自由が丘に行くならあの場所に行かなくてはと思い出した。