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俳句フォトエッセイ

俳句フォト日和勤労感謝の日

みんなで楽しむ俳句フォトの井田編が11月23日の勤労感謝の日に行われた。フィールドは井田病院の下の中原区市民健康の森。どんぐりの森として知られ、45種類もの蝶が見つけられたエリアである。麓の矢上川には、最近白鷺が飛来するという情報があった。当日、白鷺は見られなかったが数多の鴨が餌をついばんでいる場面に出会った。前回の元住吉ブレーメン商店街が「街を詠む」とすれば、今回は差し詰め「自然を詠む」会だろう。入口あたりに網を掛けた柿の畑があった。柿の実の大きさから見て、禅寺丸柿と思われた。原木は王禅寺で見たが、まさかここで再会できるとは!山の中に入ると風も止み、絶好の俳句フォト日和になった。

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王禅寺緑のままの冬紅葉

王禅寺は、川崎市麻生区にある。丘陵を切り開いて団地や住宅が造成された麻生区は新しい街だ。多摩区から分離した1982年には9万6千人だった人口は令和4年には18万人を超えている。丘麻生区は、男女共平均寿命が日本一になったことでも有名になった。バスを虹ヶ丘営業所で降りて、王禅寺に向かった。バス通りを外れしばらく行くと寺の門がある。王禅寺には、公園側からも入ることができるが、ぼくはこちらの道が好きだ。門を抜けると静かな林だ。鳥の鳴き声だけが響く。風が竹の葉を揺らし、出会う人もいない。静かだ。王禅寺は川崎の名刹の一つである。高野山三世無空上人が開山。関東の高野山とも言われる。

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冬紅葉遥か遙かに千曲川

この千曲川は小諸城址・懐古園からの眺望である。千曲川と言えば、島崎藤村の「千曲川旅情のうた」だろう。その碑が懐古園にはある。藤村の記念館もある。島崎藤村の『夜明け前』をぼくは劇団民藝の舞台で観ている。高校生の頃だ。名優と言われた滝沢修と宇野重吉が演じた。重厚な舞台が今でも眼裏に蘇る。本格的な舞台を観たのは、これが初めてだった。懐古園の紅葉は見事だった。もみじは秋に草木が黄色や赤色に変わることを表す動詞「もみず」に由来するという。そこから特に色を変える「かえで」を「もみじ」と呼ぶようになったらしい。「かえで」は葉の形が「カエルの手」に似ているところから来ているという。

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木漏れ日や十一月の森の中

玉の如き小春日和を授かりし松本たかしという有名な俳句があるが、今日はその通りの暖かい一日だった。明日「みんなで楽しむ俳句フォト井田編」のイベントがあるので、その候補地である中原区市民健康の森まで実踏(実地踏査)に行くことにした。これまでに何度も訪れ知っているはずの場所だが、改めて当地に行くとまた新鮮である。井田山の中腹にある小さな森にもかかわらず、ちょっとしたハイキング気分になる。足の踏み場もないほどのどんぐりにびっくりした。元住吉編は「街を俳句フォト」だったが、今回は自然がテーマ。明日の天候によっても詠む句も変わってくるだろう。折角ここまで来たので、神庭まで足を伸ばしてみることにした。

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しみる日の虚子記念館休館と

「しみる」は漢字で書けば恐らく「凍みる」であろう。ひどく寒い日を指す小諸の方言である。最初の計画では、飯盛山の登山をして、小淵沢から東京に帰る予定でいた。朝起きたら、雨。朝の気温は零度を下回っていた。Iさんの提案で、飯盛山を諦めて、小諸の虚子記念館に行くことになった。作りかけの高速道路に乗って小諸に向かう。黄葉が美しい。高浜虚子はご存知のように、近代俳句の祖である。虚子編の歳時記は今も広く使われている。「花鳥諷詠」を旗印に俳句界の興隆を作り上げた立役者である。鎌倉に虚子・立子記念館がある。今月のはじめに所属する結社の吟行で訪れたことは、前に述べた。

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信州へもみじの山へまつしぐら

18日は、江東区森下の音楽喫茶店サンメイトで「大花野の会」を行った。八名川小学校時代の保護者のKさんのお力添えによるものだ。句集『大花野』の36句を読み、それぞれが心に残った句や気になった句を出し合い、体験や考えを出し合った。しみじみとした良い会になった。19日は、長野の小海町で「大花野会」。こちらは大学時代の友人のIさんが企画してくれた。地域で俳句を嗜んでいる方を中心に集まってくださった。介護真っ最中の方や介護を経験された方が多く、悩みも出され踏み込んだ話し合いになった。写真は、小海町に向かう途中である。Iさんの話では紅葉は盛りを過ぎたとのことだが、美しい。

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冬うららお帰りなさいピーコちゃん

もとすみブレーメン通り、サーティワンアイスクリームの前である。ピーコちゃんが戻ってきた。鳴き声で気がついた。カナリアの鳴き声は高いし、多様。よく響く。もちろん前のカナリアが戻ってきたわけではない。頭の毛が茶色い。しばらく籠の前で眺めていると、「あら、戻ってきたのね」という声。気にしていた人は多いのだ。生き物を飼うのは大変だ。学校でもかつては必ず生き物を飼っていた。命というものを知らなければならないという根本思想があったのだろう。長野県の伊那の学校では山羊を飼い、出産や死というものにまで踏み込んだ。鶏を飼い、最後は締めて食べるところまで教えた学校があった。それがだんだんに形骸化した。

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新宿は新宿のまま年の暮

まだ十一月半ばだ。年の暮というのにはまだ早い。しかし年内に新宿に出向く用はもうないので、ぼくにとっては年の暮のようなものだ。若い時に大変にお世話になった人が、年内で店を閉めるというので、挨拶するための新宿だ。この機会を逃すと、次に会うのはあの世になりねない。少し時間があったので、新宿を久しぶりに歩いた。感触では50年前の新宿と少しも変わっていない気がする。新宿に初めて足を踏み入れたのは高校生時代。歌声喫茶「カチューシャ」だった。流行のディスコに何回か行ったことはあるが、酒に興味がないので、歓楽街にはまり込むことはなかった。代わりに喫茶店にはよく行った。一番印象に残っているのは新宿風月堂だ。

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冬ざれて枯山水の如くなり

思い通りの写真が撮れなかったが、とある場所のビオトープらしきものである。上手く設計されてはいると思う。写真では見づらいが、小高くなった場所から水が流れ落ちる仕掛けになっており、(写真からは外れているが)下に浅い池があり植物が繁茂している。現在では水か停められているので、枠組の岩だけが目立つ。水路だったところには枯葉が散っている。「枯山水ではないか」と一瞬思った。枯山水を最初に見たのは京都龍安寺の石庭である。中学だったか、高校だったかの修学旅行だった。それからは、京都に行く度に石庭を見て回った。庭に興味を持ったのは祖父が「盆景」の家元だったからかもしれない。

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幸せの黄色い旗や冬灯し

みた瞬間に山田洋次の映画「幸せの黄色いハンカチ」が目に浮かんだ。この旗、駅前にあるだけかと思ったら、町中に立っている。学校の行事の旗が町中に立っている光景を見たのは初めてだ。それだけ学校が地域に根付いていることの証左だろう。タイムカプセルか!24年前のカプセル。当時12歳だった子どもは36歳の働き盛りになっている。この旗、まさか当時に用意したはずがない。今の学校の先生方やPTAの方々が「カプセル開封」を考案し、旗を作ったのだろう。その発想力に頭が下がる。ぼくは住吉小学校の卒業生ではないが、縁が深い。十年以上、住吉小学校で俳句の授業を続けているからだ。よく受け入れてくれたと今も感謝している。