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俳句フォトエッセイ

爽やかやこの日この時この時間

最近のスマホの写真機能はすごい。ひょいと一年前、二年前・・・のその日の写真が出てくるのだ。つらつらと眺めた。1年前には、薔薇の写真があった。俳句フォト歌留多にも収録されている「全身に秋の陽イエロージャイアンツ」である。一体、何処で写したか思い出せない。調べてみたら深大寺だった。俳句の吟行だった。僕にとって初めての深大寺体験だった。その日に食べた蕎麦の味が蘇ってきた。ある年は、俳句研修会だったり、江東区俳句部の定例会の写真だったりする。俳句関係の写真が多い。この十数年、ぼくの生活の中心に俳句があったと言うことだろう。一番古い写真は2011年だった。それが、この写真だ。

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信じるといふ幸せや秋の虹

雨があがって、日がさしてきた。江東区の明治小学校でこの日俳句の研修会を行った。俳句フォトの要望が多かった。明治小学校は区内で最初にできた学校(深川小学校の方が先だと言う説もある)で開校は明治3年に遡る。江東区を代表する学校の一つだ。地下鉄の門前仲町駅から歩いて約5分。深川のこの辺りは、江戸時代からの寺町である。深川不動堂をはじめ約20のお寺がある。その一つが深川ゑんま堂である。正式には、真言宗豊山派賢臺山法乗院という。お寺の開闢から400年近い。ここのゑんま大王像は、日本最大だそうだ。ゑんま像の前に祈願別に19種類の賽銭入れがある。中身も現代的。ぼけ封じ、癌封じ、いじめ封じもある。

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パソコンを抱えMacの夜長かな

Macとは、マクドナルドのことである。よりによってMacでなくてもよいではないかと思われるかもしれない。その通りだ。ふかふかした気持ちよい椅子の喫茶店が他にたくさんある。チェーン店でも上島珈琲もあるし、タリーズもある。昼間なら躊躇なくそちらに行くかもしれない。ぼくの残りの人生はそう長くはない。喫茶店で仕事をする体力と気力が保てるのは数年かもしれない。2、3百円高くても、そのくらいなら貯金が底をつくわけではないだろう。朝なら、コメダ珈琲と決めている。簡単なモーニングがつくからだ。コメダはコンセントもWi-Fiもあり、仕事する環境がそろっている。

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猫の恋どうしたものか僕の恋

実にユーモラスな俳句である。そして、何となく切実感もある。実は、第23回深川芭蕉小中学生俳句大会で区長賞を獲得した句なのだ。写真は、表彰式で作者が大久保区長から賞状を受け取っている場面である。ぼくは、この大会に第2回目から関係している。紆余曲折を経て今日に至っている。現在この大会は深川神明宮が支えてくれていると言っても過言ではない。その努力には頭が下がる。それにしても江東区内のほとんど全ての学校から27500を超える応募がある。考えてみれば、相当なものだ。今年のぼくの役割は中学生の俳句の講評をすることだった。改めて受賞句を読み直してみた。小学生の句を読み、もう一度中学生の俳句を読む。

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コスモスの風に揺れまた風に揺れ

第41回全国都市緑化かわさきフェアが行われている。主会場は、生田緑地、等々力緑地、富士見公園である。生田も等々力も何回も行ったことがあるので、富士見公園に行ってみようと思った。およその見当を付けて川崎駅から歩く。銀柳街を突っ切り仲見世通りを行く。ごちゃごちゃしているが、広大な歓楽街だ。かつての川崎がここに集約されている感じすらする。第一京浜を渡り、しばらく行くと富士見公園だ。昔の川崎球場があった場所だ。子どもの頃、何度も連れて行ってもらった。大洋ホエールズの本拠地だった。入口からしてすごい。「花の壁」である。壁面緑化の手法だ。壁に植木鉢を埋め込み、そこに様々な草花を植える。

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平積みの本の匂ひや秋深む

大田区のY小学校の研究授業の助言を頼まれて伺った。内容は、商店街との触れ合いを俳句フォトにするというものだった。子どもたちの作品には思いもよらぬ発見があり、素直な気持ちが写真と俳句に表されていた。もちろん、細かなところで手直しは必要だろうが、「四年生の子どもたちがここまでできるのか!」というのが率直な感想である。同時に「俳句フォト」という方法に大きな可能性を今一度感じることができた。この実践を支えていたのは、先生方の「俳句は楽しい」という思いとたゆまぬ探究心だ。学校もまだまだ捨てたものではない。久しぶりの感動を覚えた研究授業だった。帰りに本屋に寄った。地元の元住吉の本屋が閉店したのが十月七日。

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サボテンに無数の棘や秋映ゆる

朝早く目が覚めてしまったので、ゴミを出しに行った。ついでに少し散歩した。急に寒くなったが、朝日が美しい。目にとまったのが写真のサボテンである。ぼくは、基本的には夜型の人間だ。振り返ってみると、二十代は寝る時刻は平均して午前2時から3時の間だった。三十代は午前1時から2時の間。四十代以降は、午前0時から1時の間になった。仕事があるから、起きるのは一定して6時から7時の間なので段々睡眠時間が増えてきたと言えよう。四十代では、不規則で土曜日に寝溜めをするものだから日曜日は毎週頭痛に悩まされてきた。今はそこそこに用事はあるが、悠々自適の生活なので睡眠時間は長い。平均して7時間半は寝ている。

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色変へぬ松の天まで届くほど

「色の変へぬ松」というのは、秋の季語である。俳句を始めるまで知らなかった言葉だ。「晩秋に木々が紅葉するのに対して、松が変わらず緑のままでいることを賞する」と歳時記にはある。この松を見て思い起こすのは「奇跡の一本松」だ。東日本大震災の津波の際にただ一本残った陸前高田の松である。高田松原に植林された七万本の中でただ一本津波に耐えて残ったのがこの松だ。現在は震災からの復興を象徴するモニュメントとして残されている。天まで届くほどのこの松のある場所は、実は都内、洗足池である。洗足池は、勝海舟の墓所があることでも有名である。西郷隆盛の碑もある。池の周囲には、遊歩道が整備され、絶好の散策地となっている。

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萩溢る溢れ溢れて花の滝

「萩」と口ずさんだら、思い出したことがある。歌舞伎だ。そういえば「伽羅先代萩」という演目があった。こう書いて「めいぼくせんだいはぎ」と読む。ちんぷんかんぷんであるが、伊達騒動を題材にした歌舞伎の人気演目である。ぼくは、これを旧歌舞伎座で観ている。確か、御殿の場である。乳人の政岡が我が子の命と引き換えに主君を守る場面である。この芝居では、原田甲斐は悪人中の悪人となっているのだが、山本周五郎の『樅ノ木は残った』では正反対。物事は見方によってこうも変わるのか、興味深かった。50代に入ってからだったと思う。人に誘われて、柄にもなく毎月のように歌舞伎座に通ったことがあった。