俳句フォトエッセイ2025.10.26ブレーメンフライマルクト秋高し小山正見東急線元住吉の駅前である。西口のこの通りをブレーメン通りと言う。ぼくが子供の頃は元住吉西口商店街と言っていた。いつの間にかこの通りが「ブレーメン通り」となり、駅前にはブレーメンの音楽隊の像が建てられてた。名前が変わったのは1980年代の後半らしい。丁度バブルの全盛期である。全国各地でスーパーマーケットが力を増し、駅前の個店は窮地に立たされてつつあった。この危機を救おうと市と協力してモール化する構想が生まれた。商店街の道を石畳にし、街灯などもヨーロッパ調に統一。名前も色々探し「ブレーメン商店街」に決めたらしい。この通りに今はバスは通っていない。12時を過ぎると車も進入禁止だ。そのおかげもあって、今も商店街は大賑わいである。この商店街の一年一度のお祭りが「フライマルクト」である。元々は、ドイツのブレーメン市のお祭の名前だ。いつもでも混んでいるブレーメン通りだが、この日は更に通り抜けるのが困難なほど人で溢れる。この賑わいは「この町に暮らしてよかった」と言う満足感を与えてくれる。こんな様子だから、全国各地からの視察も引きも切らない。この商店街を率いてきたのが理事長の伊藤博さんである。丁度一年程前、ぼくは伊藤さんを「小山正見のかわさき俳句フォト」で取材した事がある。そして、この街にこの人ありて豊の秋と詠んだ。この伊藤さんが先日叙勲を受け、秋の園遊会に招待された。当然かも知れないが誠にめでたい。正に我が街の誇りである。その伊藤さんに昨日の朝会った。手にトングを持ち、商店街を掃除されていた。頭が下がる。ぼくは、「おめでとうございます。」と声をかけ、握手していただいた。すると「小山さんも街にとって大切な人だから・・・」と思いもかけない言葉をいただいた。ありがたい限りである。
東急線元住吉の駅前である。西口のこの通りをブレーメン通りと言う。
ぼくが子供の頃は元住吉西口商店街と言っていた。いつの間にかこの通りが「ブレーメン通り」となり、駅前にはブレーメンの音楽隊の像が建てられてた。
名前が変わったのは1980年代の後半らしい。丁度バブルの全盛期である。全国各地でスーパーマーケットが力を増し、駅前の個店は窮地に立たされてつつあった。この危機を救おうと市と協力してモール化する構想が生まれた。
商店街の道を石畳にし、街灯などもヨーロッパ調に統一。名前も色々探し「ブレーメン商店街」に決めたらしい。
この通りに今はバスは通っていない。12時を過ぎると車も進入禁止だ。
そのおかげもあって、今も商店街は大賑わいである。
この商店街の一年一度のお祭りが「フライマルクト」である。
元々は、ドイツのブレーメン市のお祭の名前だ。
いつもでも混んでいるブレーメン通りだが、この日は更に通り抜けるのが困難なほど人で溢れる。
この賑わいは「この町に暮らしてよかった」と言う満足感を与えてくれる。
こんな様子だから、全国各地からの視察も引きも切らない。
この商店街を率いてきたのが理事長の伊藤博さんである。
丁度一年程前、ぼくは伊藤さんを「小山正見のかわさき俳句フォト」で取材した事がある。そして、
この街にこの人ありて豊の秋
と詠んだ。
この伊藤さんが先日叙勲を受け、秋の園遊会に招待された。当然かも知れないが誠にめでたい。正に我が街の誇りである。
その伊藤さんに昨日の朝会った。手にトングを持ち、商店街を掃除されていた。頭が下がる。
ぼくは、「おめでとうございます。」
と声をかけ、握手していただいた。
すると「小山さんも街にとって大切な人だから・・・」と思いもかけない言葉をいただいた。ありがたい限りである。