俳句フォトエッセイ2025.11.12引潮の残す文様雁渡る小山正見恒例の鎌倉吟行である。鎌倉の知られざる名所を毎回案内してくださる。それに甘えて、出来るだけ参加するようにしている。江東区を退職してからだから、3年目だろうか。先月は元八幡に行った。今月は材木座海岸である。この材木座の名称は和賀江島に船着場が出来、材木などの集積地になったことによるらしい。今でも和賀江島の船着場の跡が残っている。遠浅の海で、海水浴には最適である。ぼくは、この材木座海岸で泳いだ記憶がある。正確に言えば、すぐ近くにあるお寺、光明寺に泊まった事があるのだ。もしかしたら、寺そのものでなく民宿だっのかもしれない。なんとなく高校時代の親友のNが一緒だったような気がして、メールで聞いてみたら。やはり、そうだった。N家は毎年、材木座に出かけ、光明寺の宿坊に泊まっていたという。すると、そこにぼくが便乗したということになる。なぜ覚えているかと言うと、目の前に突然現れた女の子のせいだ。その笑顔の輝きが一瞬でぼくの脳裏にこびりついてしまった。もちろん、その後の交流が一切あるわけではないが、材木座というと今でもその女の子のことを思い出すのだ。この日の吟行の目的のもう一つは、材木座近くにある鎌倉十井の一つ、六角の井を見ることだった。しかし、そこに行って見ると、井戸は無惨にもビニールシートでぐるぐる巻きにされていて、碑だけが寂しく立っていた。そこを過ぎると逗子漁港はすぐそこだった。こんなに近いのかと不思議な気がした。句会は10句出しの8句選というやり方だ。一票でも入った句は議論の俎上にあげられる。午後2時の締切までに慌てて句を整理する。幼子の駆け出してゆく浜の秋捨て置かる錨の錆の秋思かななど6句には点が入ったが、4句は無点だった。写真の句はそんな無点の句の一つである。
恒例の鎌倉吟行である。鎌倉の知られざる名所を毎回案内してくださる。それに甘えて、出来るだけ参加するようにしている。
江東区を退職してからだから、3年目だろうか。先月は元八幡に行った。今月は材木座海岸である。
この材木座の名称は和賀江島に船着場が出来、材木などの集積地になったことによるらしい。今でも和賀江島の船着場の跡が残っている。
遠浅の海で、海水浴には最適である。
ぼくは、この材木座海岸で泳いだ記憶がある。正確に言えば、すぐ近くにあるお寺、光明寺に泊まった事があるのだ。もしかしたら、寺そのものでなく民宿だっのかもしれない。
なんとなく高校時代の親友のNが一緒だったような気がして、メールで聞いてみたら。
やはり、そうだった。N家は毎年、材木座に出かけ、光明寺の宿坊に泊まっていたという。すると、そこにぼくが便乗したということになる。
なぜ覚えているかと言うと、目の前に突然現れた女の子のせいだ。その笑顔の輝きが一瞬でぼくの脳裏にこびりついてしまった。もちろん、その後の交流が一切あるわけではないが、材木座というと今でもその女の子のことを思い出すのだ。
この日の吟行の目的のもう一つは、材木座近くにある鎌倉十井の一つ、六角の井を見ることだった。しかし、そこに行って見ると、井戸は無惨にもビニールシートでぐるぐる巻きにされていて、碑だけが寂しく立っていた。
そこを過ぎると逗子漁港はすぐそこだった。こんなに近いのかと不思議な気がした。
句会は10句出しの8句選というやり方だ。一票でも入った句は議論の俎上にあげられる。午後2時の締切までに慌てて句を整理する。
幼子の駆け出してゆく浜の秋
捨て置かる錨の錆の秋思かな
など6句には点が入ったが、4句は無点だった。
写真の句はそんな無点の句の一つである。