俳句フォトエッセイ2026.02.13病院の窓の外なる冬景色小山正見関東労災病院の食堂から中原区平和公園の緑が見えるが、どことなく寒々しい。ちいさな事件があった。食事をしていた方が突然倒れられた。館内放送が流れると、あっという間に10人を超すお医者さんや看護師さんが集まり担架が用意された。皆若い人だった。ぼく自身も救急車で病院に運ばれたことがあるし、顔面神経麻痺の際は10日間入院した。亡くなる前に母がお世話になった井田病院も思い出深い。大雪の中見舞いに行ったことを思い出す。母は尊厳死協会の会員だった。胃ろうはもちろん、点滴もしないと言い張った。そんな母を宥めすかして、入院させた。痛みが取れて帰ってきた母に「なぜ入院させたのか」と責められた。退院して20日後に母は亡くなった。お茶の水にある三楽病院は一番縁の深い病院だった。思い出すのは、長男が生まれた時のことである。未熟児で生まれ、しかも黄疸がひどかった。保育器の中に入れられた我が子は息も絶え絶えに見えた。看護師さんに「この子生きますか?死にますか?」と聞いたら「そんなことわかりません」と言われた。それでも、ようやく退院の日を迎えた。ぼくは車で迎えに行った。すぐ乗れるようにと病院の真ん前に駐車した。退院の手続きやら看護師さんへの挨拶やらで時間がかかった。子供を抱いて外に出たら車がなかった。駐車違反でレッカー移動されていたのだ。病院の外は寒風が吹き荒んでいた。病院の窓の外なる冬景色
関東労災病院の食堂から中原区平和公園の緑が見えるが、どことなく寒々しい。
ちいさな事件があった。食事をしていた方が突然倒れられた。館内放送が流れると、あっという間に10人を超すお医者さんや看護師さんが集まり担架が用意された。皆若い人だった。
ぼく自身も救急車で病院に運ばれたことがあるし、顔面神経麻痺の際は10日間入院した。
亡くなる前に母がお世話になった井田病院も思い出深い。大雪の中見舞いに行ったことを思い出す。
母は尊厳死協会の会員だった。胃ろうはもちろん、点滴もしないと言い張った。そんな母を宥めすかして、入院させた。痛みが取れて帰ってきた母に「なぜ入院させたのか」と責められた。退院して20日後に母は亡くなった。
お茶の水にある三楽病院は一番縁の深い病院だった。
思い出すのは、長男が生まれた時のことである。未熟児で生まれ、しかも黄疸がひどかった。保育器の中に入れられた我が子は息も絶え絶えに見えた。
看護師さんに
「この子生きますか?死にますか?」
と聞いたら
「そんなことわかりません」
と言われた。
それでも、ようやく退院の日を迎えた。
ぼくは車で迎えに行った。すぐ乗れるようにと病院の真ん前に駐車した。
退院の手続きやら看護師さんへの挨拶やらで時間がかかった。
子供を抱いて外に出たら車がなかった。駐車違反でレッカー移動されていたのだ。
病院の外は寒風が吹き荒んでいた。
病院の窓の外なる冬景色