俳句フォトエッセイ2025.11.16こだまする幼子(おさなご)の声秋日和小山正見天候が回復し、日がさしてきた。病院に行ったついでに、久しぶりに中原平和公園に足を向けた。ここには妻とよく来た。2020年、新型コロナウイルスが流行った年だ。3月に入り学校が休校になった。教育委員会に所属していたぼくも、自宅待機となった。確か、それが5月の終わりまで続いた。もしかしたら毎日のように、ぼくらはこの公園に来ていたかもしれない。家から適当な距離だし、広くて気持ち良い。運動にもなる。コロナの感染の危険も少ない。「密を避けろ」と盛んに言われていた頃だ。ぼくはこの公園の花壇に咲いている草花を見て生きるとは密になること姫女苑と詠んだ。この公園はかつては米軍の印刷工場だった。鉄条網で囲まれて如何にも物々しい雰囲気だった。返還された跡地の一部が川崎市立住吉高校の敷地となり、また公園になった。この土地を二度と戦争のためには使わないという意図を込めて「平和公園」の名称となったと聞く。確かに、公園の中には平和の像や核兵器廃絶の碑などが立てられている。公園の一角には川崎市平和館の建物もある。川崎空襲の記録などをここで見ることができる。ぼくはこの公園にある彫像が好きだ。特に「希望」と題された少女が鳩を今にも飛ばそうとしている像に心を惹かれる。よく晴れた気持ちのいい昼。公園内には、幾つもの保育園児のグループが駆け回っていた。ここだけ見ると少子化はどこにあるのかと思うほどだ。秋空に幼子の声がこだまして弾けている。如何にも平和公園にふさわしい景色であった。
天候が回復し、日がさしてきた。病院に行ったついでに、久しぶりに中原平和公園に足を向けた。
ここには妻とよく来た。
2020年、新型コロナウイルスが流行った年だ。3月に入り学校が休校になった。教育委員会に所属していたぼくも、自宅待機となった。確か、それが5月の終わりまで続いた。
もしかしたら毎日のように、ぼくらはこの公園に来ていたかもしれない。
家から適当な距離だし、広くて気持ち良い。運動にもなる。コロナの感染の危険も少ない。
「密を避けろ」と盛んに言われていた頃だ。
ぼくはこの公園の花壇に咲いている草花を見て
生きるとは密になること姫女苑
と詠んだ。
この公園はかつては米軍の印刷工場だった。鉄条網で囲まれて如何にも物々しい雰囲気だった。
返還された跡地の一部が川崎市立住吉高校の敷地となり、また公園になった。この土地を二度と戦争のためには使わないという意図を込めて「平和公園」の名称となったと聞く。
確かに、公園の中には平和の像や核兵器廃絶の碑などが立てられている。
公園の一角には川崎市平和館の建物もある。川崎空襲の記録などをここで見ることができる。
ぼくはこの公園にある彫像が好きだ。
特に「希望」と題された少女が鳩を今にも飛ばそうとしている像に心を惹かれる。
よく晴れた気持ちのいい昼。公園内には、幾つもの保育園児のグループが駆け回っていた。ここだけ見ると少子化はどこにあるのかと思うほどだ。
秋空に幼子の声がこだまして弾けている。
如何にも平和公園にふさわしい景色であった。