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世の中に溶け込むフェイク秋暑し

小山正見

本当にびっくりした。今日20日、本当に大谷は6試合ぶりに44号ホームランを打ち、ホームランダービーのトップに並んだ。
ぼくもご多分に漏れず、大谷のホームランを毎日心待ちにしている。
写真のYouTubeの記事は、実は昨日8月19日の記事なのだ。この日は大谷はホームランを打っていない。つまり、この記事は完全なフェイクということだ。
すっかり騙された。
大谷のホームランなら次の日になれば事実が判明する。しかし、難しい問題も沢山ある。
例えば「投票用紙がすり替えられている」。というデマ。確かに数え間違いが全くないとは言えないだろうが、自治体の職員で選挙の作業に従事したことのある人なら「そんなこと不可能だ」と大笑いするだけだが、行政と選挙結果に不満があれば「あいつらならやりかねない」と考える人も出て来て不思議はない。
ヒトと猿の祖先は同じだと信じない人は世界には山ほどいる。今でも多くの人々はフェイクと物語の社会に生きているのだ。
力の強いものが言うことが真実になる社会がずっとずっと続いてきた。
それが変わったのが近代だ。事実やエビデンスに基づき、法に基づいて判断すべしとなった。
ぼくの生きてきた時代は、科学的論理的に考えるべきだということが叩き込まれた時代だ。
ぼくもそれが当然と考え、疑いもしなかった。しかし、事実や法に基づくと言うのは窮屈であるし、頭のいい奴が世界を支配するということでもある。
トランプの出現以来、世界は変わり日本にも上陸してきた。
科学的根拠など関係ない。やりたいことをやりたいようにやる。ある意味、科学や科学者に縛られた窮屈な世界からの解放である。獣性の復活とも言えよう。
彼らにとって、フェイクか否かはどうでもいいのだ。だから「それはデマだ」とどんなに批判しても響かない。
科学的根拠など人を縛る道具だと考えているのだから。
人間は自分の見たいものしか見えないと言われる。ありとあらゆるフェイクがばら撒かれ、ナニがホントかわからなくなっている世界であれば余計である。
しかし、と思う。
やむを得ないとしても、誰もが卑屈にトランプの顔色をうかがう世界をぼくは「見たくない」。目を瞑る以外にないのか。