俳句フォトエッセイ2025.05.24人生は様々なれどみんな喜寿小山正見中学校のクラス会があった。11名が参加。皆が77歳、喜寿である。同じ歳だから当たり前であるが、めでたい。ぼくたちのクラスは52人いた。団塊の世代だ。幹事の作ってくれた名簿によれば、11人が既に亡くなっている。連絡先がわからない方の中にも逝去された方がいるかも知れない。Aが亡くなっていた。水泳大会て無惨に負けたぼくの肩を抱いて慰めてくれたのが彼だった。Bも亡くなった。Bはクラスの人気者だった。そして優しかった。ぼくも大好きだった。クラス会になると、その当時のクラス地図がそのまま現れる。当時人気者だった人はやはり話題の中心にいる。不思議なものだ。恒例の報告タイム。Cが立ち上がった。やや動作がぎこちない。Cは中学時代、授業中はほとんど窓の外を見ているか、好きなバイクの絵ばかり描いていた。にも関わらず、成績は常にクラスのトップだった。現役で東大に入り、大企業に就職した。とんでもない頭の持ち主だ。しかし、出世に汲々とせず、趣味の野鳥観察に熱中した人生だった。その彼が緑内障になり、手術をしたにも関わらず、ほとんど目が見えないという。もう野鳥の観察もできないだろう。それでも飄々と楽しそうな顔で話を続けた。中学時代そのままの顔がそこにあった。Dは、保険会社が匙を投げるような難しい交渉物件の解決する仕事を若い時から続けてきた。クラス会に登場するしたのは初めて。62年ぶりになる。「絶対来たくなかったが、最後だと思ったから来た。」成績の良い生徒ばかりチヤホヤされて、俺みたいなできない奴には居場所がなかった。だからクラス会など来るつもりもなかった。先生を恨んでいるという。そういう時代だったのかもしれない。評判の良い先生だったが、ぼくも先生と話した記憶はない。ぼくは、当時とても仲良くしていたEと中学時代さながらに、会場の隅っこで話に興じた。してきた仕事の話をする人も孫の話をする人もいる。クラス会で人生をどのように語るのか、なかなか難しいものがあると思った。しかし、兎にも角にも喜寿まで生きたということだ。めでたい!めでたい!
中学校のクラス会があった。
11名が参加。皆が77歳、喜寿である。
同じ歳だから当たり前であるが、めでたい。
ぼくたちのクラスは52人いた。団塊の世代だ。幹事の作ってくれた名簿によれば、11人が既に亡くなっている。連絡先がわからない方の中にも逝去された方がいるかも知れない。
Aが亡くなっていた。水泳大会て無惨に負けたぼくの肩を抱いて慰めてくれたのが彼だった。Bも亡くなった。Bはクラスの人気者だった。そして優しかった。ぼくも大好きだった。
クラス会になると、その当時のクラス地図がそのまま現れる。当時人気者だった人はやはり話題の中心にいる。不思議なものだ。
恒例の報告タイム。
Cが立ち上がった。やや動作がぎこちない。Cは中学時代、授業中はほとんど窓の外を見ているか、好きなバイクの絵ばかり描いていた。にも関わらず、成績は常にクラスのトップだった。現役で東大に入り、大企業に就職した。とんでもない頭の持ち主だ。
しかし、出世に汲々とせず、趣味の野鳥観察に熱中した人生だった。
その彼が緑内障になり、手術をしたにも関わらず、ほとんど目が見えないという。もう野鳥の観察もできないだろう。それでも飄々と楽しそうな顔で話を続けた。中学時代そのままの顔がそこにあった。
Dは、保険会社が匙を投げるような難しい交渉物件の解決する仕事を若い時から続けてきた。
クラス会に登場するしたのは初めて。62年ぶりになる。
「絶対来たくなかったが、最後だと思ったから来た。」
成績の良い生徒ばかりチヤホヤされて、俺みたいなできない奴には居場所がなかった。だからクラス会など来るつもりもなかった。先生を恨んでいるという。
そういう時代だったのかもしれない。評判の良い先生だったが、ぼくも先生と話した記憶はない。
ぼくは、当時とても仲良くしていたEと中学時代さながらに、会場の隅っこで話に興じた。
してきた仕事の話をする人も孫の話をする人もいる。クラス会で人生をどのように語るのか、なかなか難しいものがあると思った。
しかし、兎にも角にも喜寿まで生きたということだ。めでたい!めでたい!