俳句フォトエッセイ2025.09.17八名川は聖地の一つ秋高し小山正見「聖地」というのは、僕にとってのという意味である。江東区立の八名川小に赴任したのは21年前のことである。6年間在籍したが、その後もなんだかんだと出入りしている。八名川小の靴箱にはまだぼくの名前が残されている。この八名川町の古地図、実は東京駅の「銀の鈴」のある床にプリントされているものだ。新大橋の位置は今とは違っているように見える。現在は「八名川町」という地名はなく、常盤町や新大橋になっている。「八名川」の地名が残っているのは、小学校とその隣の八名川公園だけである。その八名川小に赴任して最初に掲げたスローガンは「ワンランク上の教育」というものだった。丁度、学校選択制が始まった頃である。何だかマンションの広告のようであったが、(笑)この学校に赴任して「こんなにいい学校なのに、何故児童数が少ないのか」不思議だった。このままで既に「ワンランク上」なのにと感じていた。最初に打ち出したのは算数の習熟度学習への学習塾の先生の採用であった。これには、後に賛否両論が渦巻き区内の校長先生達から強烈に批判された。「お前は教師の魂を売り渡すのか」営利目的の塾の教師に教室を受け渡すなどなどもっての外というわけだ。ぼくの方も壮大な理念があったわけでは全くない。母親が英語塾を長年していたので「塾」への抵抗があまりなかったのは事実であるが・・・ある日、学校の幹部の先生が談判に来た。「指導がきちんと出来る先生を連れてきてほしい!」今と同じでその当時も教師不足だった。講師を探しても経験のない人しかいなかった。すると、子どもの指導をしながら、新人の先生の面倒を見ることになる。「やってられない」というわけだ。ぼくは頭を抱えた。「算数の指導の経験ができ、時間のある人は何処かにいないか。」昔遊びやパソコンの指導の出来る人なら地域にいるかもしれないが、「算数」となると・・・そして思いついたのが学習塾の先生である。「算数の指導の経験があり、学校のある時間は暇なはずだ」(本当は暇ではないだろうが笑)この提案に学習塾協会が乗った。損得を抜きに優秀な先生を派遣してくれた。学習塾側も学校に食い込むチャンスを狙っていたのだ。最初はギクシャクしていた関係も実践を重ねていくうちに信頼に変わった。塾側にも学校型の問題解決型の算数指導の良さが伝わり、講座を作ったという話も伝わってきた。八名川小の塾との連携の取り組みには教育委員会も注目して「学習塾との連携」は次の年には、区の施策として取り入れられることになった。ぼくは、八名川小を退職してからも1年間だけだが、学区域にアパートを借りて住んだ。よっぽど八名川が好きだったんだろう。
「聖地」というのは、僕にとってのという意味である。
江東区立の八名川小に赴任したのは21年前のことである。6年間在籍したが、その後もなんだかんだと出入りしている。八名川小の靴箱にはまだぼくの名前が残されている。
この八名川町の古地図、実は東京駅の「銀の鈴」のある床にプリントされているものだ。
新大橋の位置は今とは違っているように見える。
現在は「八名川町」という地名はなく、常盤町や新大橋になっている。
「八名川」の地名が残っているのは、小学校とその隣の八名川公園だけである。
その八名川小に赴任して最初に掲げたスローガンは「ワンランク上の教育」というものだった。丁度、学校選択制が始まった頃である。何だかマンションの広告のようであったが、(笑)
この学校に赴任して「こんなにいい学校なのに、何故児童数が少ないのか」不思議だった。このままで既に「ワンランク上」なのにと感じていた。
最初に打ち出したのは算数の習熟度学習への学習塾の先生の採用であった。
これには、後に賛否両論が渦巻き区内の校長先生達から強烈に批判された。
「お前は教師の魂を売り渡すのか」
営利目的の塾の教師に教室を受け渡すなどなどもっての外というわけだ。
ぼくの方も壮大な理念があったわけでは全くない。母親が英語塾を長年していたので「塾」への抵抗があまりなかったのは事実であるが・・・
ある日、学校の幹部の先生が談判に来た。
「指導がきちんと出来る先生を連れてきてほしい!」
今と同じでその当時も教師不足だった。講師を探しても経験のない人しかいなかった。すると、子どもの指導をしながら、新人の先生の面倒を見ることになる。「やってられない」というわけだ。
ぼくは頭を抱えた。
「算数の指導の経験ができ、時間のある人は何処かにいないか。」
昔遊びやパソコンの指導の出来る人なら地域にいるかもしれないが、「算数」となると・・・
そして思いついたのが学習塾の先生である。「算数の指導の経験があり、学校のある時間は暇なはずだ」
(本当は暇ではないだろうが笑)
この提案に学習塾協会が乗った。損得を抜きに優秀な先生を派遣してくれた。学習塾側も学校に食い込むチャンスを狙っていたのだ。
最初はギクシャクしていた関係も実践を重ねていくうちに信頼に変わった。
塾側にも学校型の問題解決型の算数指導の良さが伝わり、講座を作ったという話も伝わってきた。
八名川小の塾との連携の取り組みには教育委員会も注目して「学習塾との連携」は次の年には、区の施策として取り入れられることになった。
ぼくは、八名川小を退職してからも1年間だけだが、学区域にアパートを借りて住んだ。よっぽど八名川が好きだったんだろう。