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公園に自転車の群冬夕焼

小山正見

俳句フォトの創り方は様々ある。写真を撮ったと同時に俳句もできれば最高だが、そんなことは滅多にない。
すると、俳句を作ってからそれに合う写真を探すか、もしくは撮った写真を見ながら俳句を捻るか、そのどちらかである。
ぼくのやり方は後者だ。
この写真は、我が家の近くのある公園だ。既に薄暗くなっていているのに、子供たちが遊んでいる。幼い子供たちも居れば、中学生ぐらいのお兄ちゃんもいる。
それがある種の驚きだった。その驚きがぼくにシャッターを切らせた動機だ。
そのように、写真を撮るには動機がある。
「綺麗だなぁ」とか「驚いたなぁ」とか、整理できない何かがあるものだ。
この「整理できない何か」を五七五にすれば、俳句フォトが誰でもできるというのがぼくの提案である。
この冬夕焼と自転車の写真を俳句フォトにする十分な動機がぼくにはある。
自分の子供時代も日が落ちて、顔が見分けられない暗くなるまで外で遊んだ。今の子供も同じではないか。時代が変わっても変わっていないことに安心感があった。それに郷愁も感じた。
ところが俳句ができない。喫茶店の椅子に座って1時間近く、この写真と睨めっこした。それなのに、言葉が空虚に空回りするばかりだ。
その挙げ句に辿りついたのが写真の句である。
できてみると、写真そのままではないか。冬夕焼と自転車の群だ。色々に思い浮かんだ思いは、どこかに消えてしまったが、これでいいのだと思った。
この俳句フォトを見て、ぼくと同じような郷愁に浸ってくれる方が一人でもいたら成功である。
全く伝わらないことだってあるだろう。それはぼくの腕が未熟だということだから仕方がない。
俳句は言葉の技巧ではなく、場面の切り取り方なのだ。今一度感じた一枚である。