俳句フォトエッセイ2025.10.10垂藁の太し逞し豊の秋小山正見何だかスズメバチか何かの巣のようだが、これは注連縄から下がっている「垂藁」(たれわら)である。よく紙で作られた「紙垂」(しで)が下げられている(写真奥)がここでは、太く藁で編まれている。紙垂も垂藁もこの先が神域であることを示し、清めや魔除けの役割を果たす。垂藁は五穀豊穣の象徴としても用いられる。ここは、鎌倉の八雲神社だ。鎌倉駅から歩いて十分ほどの距離にあるが、喧騒とは無縁、境内は木々に囲まれ本来の鎌倉らしい落ち着いた雰囲気がある。面白いのは、大きな楠の根元に大きな石が二つ置かれていることだ。この石を新羅三郎の手玉石というらしい。「人を手玉にとる」という言い方があるが、新羅三郎は、この石を手玉にとって遊んだ大力の持ち主ということなのだろう。調べてみると、新羅三郎は本名を源義光と言い、八幡太郎義家の弟だということだ。暫く、木陰で休んでいるとその間に次々と人が訪れてくる。敬虔な顔をして、一礼し鳥居を潜る。本殿の前に来ると、鈴を鳴らし少し下がって、二礼二拍手一礼をする。共通しているのは、拍手の音が大きく響くことだ。この一事だけでも参拝に慣れていることがわかる。もしかしたら、毎月、毎週の習慣になっているのかもしれない。中には、スキンヘッドのいかつい男性もいたし、Tシャツの若者もいた。二つ目の拍手を終えたところで、手を合わせたまま長いこと願い事をしている人も複数見かけた。日本人は信心深くないと言われるがそれは間違いかもしれないと思った。江東区に勤めて区内を歩きまわっていた時、お稲荷さんの多さに驚いた。深川不動尊での護摩行も然りである。新興宗教もさまざまにある。皆様はどうお考えであろうか。
何だかスズメバチか何かの巣のようだが、これは注連縄から下がっている「垂藁」(たれわら)である。よく紙で作られた「紙垂」(しで)が下げられている(写真奥)がここでは、太く藁で編まれている。
紙垂も垂藁もこの先が神域であることを示し、清めや魔除けの役割を果たす。垂藁は五穀豊穣の象徴としても用いられる。
ここは、鎌倉の八雲神社だ。鎌倉駅から歩いて十分ほどの距離にあるが、喧騒とは無縁
、境内は木々に囲まれ本来の鎌倉らしい落ち着いた雰囲気がある。
面白いのは、大きな楠の根元に大きな石が二つ置かれていることだ。この石を新羅三郎の手玉石というらしい。
「人を手玉にとる」という言い方があるが、新羅三郎は、この石を手玉にとって遊んだ大力の持ち主ということなのだろう。調べてみると、新羅三郎は本名を源義光と言い、八幡太郎義家の弟だということだ。
暫く、木陰で休んでいるとその間に次々と人が訪れてくる。
敬虔な顔をして、一礼し鳥居を潜る。本殿の前に来ると、鈴を鳴らし少し下がって、二礼二拍手一礼をする。
共通しているのは、拍手の音が大きく響くことだ。この一事だけでも参拝に慣れていることがわかる。もしかしたら、毎月、毎週の習慣になっているのかもしれない。中には、スキンヘッドのいかつい男性もいたし、Tシャツの若者もいた。二つ目の拍手を終えたところで、手を合わせたまま長いこと願い事をしている人も複数見かけた。
日本人は信心深くないと言われるがそれは間違いかもしれないと思った。
江東区に勤めて区内を歩きまわっていた時、お稲荷さんの多さに驚いた。深川不動尊での護摩行も然りである。新興宗教もさまざまにある。
皆様はどうお考えであろうか。