俳句フォトエッセイ2026.08.07年輪を重ねて回る走馬灯小山正見写真の中央は、高野榮一先生である。ぼくは、港区の笄小学校で出会った。社会科のエキスパートであるが、校長先生としてぼくは尊敬している。鷹揚に職員の活動を見てくださり、決断する時は断固としておられた。ご一緒したのはたった一年であるが、その後の付き合いは長い。校長先生方の会に呼んで下さったり写真展のご案内をくださったりした。今年も我が家に近い武蔵小杉でグループ展が行われたので、先生が当番の日を狙って出かけた。「今、おいくつですか?」と伺ったら「90だよ」顔の皺には人生の年輪が刻まれているが、とてもそのように見えない。ぼくより一回り上だ。ぼくが90になった時、高野先生のように元気でいることができるだろうかと一瞬思った。高野先生の撮る写真がいい。毎年写真が上手くなっているような気がする。高野先生を見ていると、「幾つになっても人間は進歩する」ことが感じられる。その隣にいるのが清水一豊さんだ。彼とは大学時代からの知り合いだ。再会は、都立教育研究所。同期の研究生だったからだ。彼は、研究生の代表を務めていた。物腰も発想も実に柔らかい人だ。ぼくは、彼の実践に大きな刺激を受けた。いくつもあるが、とりわけ衝撃を受けたのは彼が大田区の久原小学校の校長だった時の実践だった。学校を「学びのターミナル」と位置づけ、夏休みには100講座を超える「夏休みドキドキ学校」を作り上げた。ぼくは、「こんなことができるのか」と感嘆した。八名川小学校での「夏休み、子どもは家庭に帰さない」の取り組みは種を明かせば、この清水さんの実践から学び、後押しされたものだったのだ。その清水さんは、社会科の方面で高野先生と繋がっていた。清水さんも後に生活科教育の全国組織の会長を務めている。大学でも教鞭を取られ、今も大田区教育委員会で「大田の未来づくり」の教育活動に携わっている。その生き生きとした活動ぶりが顔の表情や色艶から伝わってくる。高野先生の写真展を通じてのこの日の偶然の出会いだった。外は雨だったが、こんな嬉しい出会いは何事にも変え難い。
写真の中央は、高野榮一先生である。ぼくは、港区の笄小学校で出会った。
社会科のエキスパートであるが、校長先生としてぼくは尊敬している。鷹揚に職員の活動を見てくださり、決断する時は断固としておられた。
ご一緒したのはたった一年であるが、その後の付き合いは長い。校長先生方の会に呼んで下さったり写真展のご案内をくださったりした。
今年も我が家に近い武蔵小杉でグループ展が行われたので、先生が当番の日を狙って出かけた。
「今、おいくつですか?」
と伺ったら
「90だよ」
顔の皺には人生の年輪が刻まれているが、とてもそのように見えない。ぼくより一回り上だ。ぼくが90になった時、高野先生のように元気でいることができるだろうかと一瞬思った。
高野先生の撮る写真がいい。毎年写真が上手くなっているような気がする。高野先生を見ていると、「幾つになっても人間は進歩する」ことが感じられる。
その隣にいるのが清水一豊さんだ。彼とは大学時代からの知り合いだ。
再会は、都立教育研究所。同期の研究生だったからだ。彼は、研究生の代表を務めていた。物腰も発想も実に柔らかい人だ。
ぼくは、彼の実践に大きな刺激を受けた。いくつもあるが、とりわけ衝撃を受けたのは彼が大田区の久原小学校の校長だった時の実践だった。
学校を「学びのターミナル」と位置づけ、夏休みには100講座を超える「夏休みドキドキ学校」を作り上げた。ぼくは、
「こんなことができるのか」
と感嘆した。
八名川小学校での「夏休み、子どもは家庭に帰さない」の取り組みは種を明かせば、この清水さんの実践から学び、後押しされたものだったのだ。
その清水さんは、社会科の方面で高野先生と繋がっていた。清水さんも後に生活科教育の全国組織の会長を務めている。大学でも教鞭を取られ、今も大田区教育委員会で「大田の未来づくり」の教育活動に携わっている。
その生き生きとした活動ぶりが顔の表情や色艶から伝わってくる。
高野先生の写真展を通じてのこの日の偶然の出会いだった。
外は雨だったが、こんな嬉しい出会いは何事にも変え難い。