俳句フォトエッセイ2025.11.14気がつけば芭蕉の池の秋深む小山正見久しぶりに江東区森下にある芭蕉記念館を訪れた。第24回深川芭蕉小中学生俳句大会の表彰式のためである。ぼくはこの大会に3回目から関わり、選考委員を仰せつかっている。ぼくの他、選考委員は堀本裕樹先生と藺草慶子先生。お二人とも俳句界を背負って立つ大俳人である。三人の共通項は、いずれも江東区の小中学生に向けて俳句の授業をした経験者だということだ。この日は大きな賞を受けた10人の小中学生とその保護者が出席した。来賓として大久保江東区長や本多教育長も見えられた。芭蕉大賞の小学生の部は★じいちゃんとはたけでえらぶなすの牛第五砂町小学校3年守屋結菜さん中学生の部は★宵祭はじける泡の如きもの深川三中3年日原千智さんだった。芭蕉記念館の庭は、緑が濃かったが、池の中を覗くと、団栗や落葉が堆積しすっかり晩秋の様相だった。この芭蕉記念館が出来たのは1981年である。この記念館の設立に大いに寄与したのが真鍋儀十だ。真鍋儀十は衆議院議員を務めた政治家であったが、俳人でもあり、芭蕉の研究家、史料蒐集家であった。資材を投じて集めた芭蕉関係の資料を記念館に寄付したのである、その儀十は幼児教育にも関心を持ち、幼稚園を開いている。住吉にある真鍋幼稚園がそれだ。ある時、ぼくは真鍋儀十の残した史料の整理を頼まれたことがある。長らく芭蕉記念館の次長を務められた横浜さんと一緒に出かけた。目ぼしいものは何一つ残っていなかったが、記念に儀十が出した小冊子と「冬扇」という俳句雑誌をいただいてきた。「冬扇」は俳人深川正一郎が主宰した雑誌である。我が家にはその深川正一郎の句集があり、直筆の便りが何枚か残っている。歴史は何処かで繋がってるのだ。
久しぶりに江東区森下にある芭蕉記念館を訪れた。第24回深川芭蕉小中学生俳句大会の表彰式のためである。
ぼくはこの大会に3回目から関わり、選考委員を仰せつかっている。ぼくの他、選考委員は堀本裕樹先生と藺草慶子先生。お二人とも俳句界を背負って立つ大俳人である。三人の共通項は、いずれも江東区の小中学生に向けて俳句の授業をした経験者だということだ。
この日は大きな賞を受けた10人の小中学生とその保護者が出席した。
来賓として大久保江東区長や本多教育長も見えられた。
芭蕉大賞の小学生の部は
★じいちゃんとはたけでえらぶなすの牛
第五砂町小学校3年守屋結菜さん
中学生の部は
★宵祭はじける泡の如きもの
深川三中3年日原千智さん
だった。
芭蕉記念館の庭は、緑が濃かったが、池の中を覗くと、団栗や落葉が堆積しすっかり晩秋の様相だった。
この芭蕉記念館が出来たのは1981年である。この記念館の設立に大いに寄与したのが真鍋儀十だ。
真鍋儀十は衆議院議員を務めた政治家であったが、俳人でもあり、芭蕉の研究家、史料蒐集家であった。資材を投じて集めた芭蕉関係の資料を記念館に寄付したのである、
その儀十は幼児教育にも関心を持ち、幼稚園を開いている。住吉にある真鍋幼稚園がそれだ。
ある時、ぼくは真鍋儀十の残した史料の整理を頼まれたことがある。
長らく芭蕉記念館の次長を務められた横浜さんと一緒に出かけた。目ぼしいものは何一つ残っていなかったが、記念に儀十が出した小冊子と「冬扇」という俳句雑誌をいただいてきた。
「冬扇」は俳人深川正一郎が主宰した雑誌である。
我が家にはその深川正一郎の句集があり、直筆の便りが何枚か残っている。
歴史は何処かで繋がってるのだ。