俳句フォトエッセイ2025.12.08目を瞑(つぶ)り本を捨てたる神の留守小山正見書棚の二段分ぐらいをやっとの思いで捨てることにした。しかし、本を捨てるのは難しい。新聞や雑誌は誰でも捨てる。同じ印刷物であっても、通りすがりのものだとわかっているからだ。本は違う。一冊の本を書くためにどれだけの苦労があったか。一冊一冊に人生が籠っているのだ。本を捨てることはその人の人生と縁を断つことに等しい。我が家の書斎は父が使っていたものだ。父の頭の中が本棚に展開されている言って良い。立原道造や堀辰雄の全集があり、中央公論の「日本の詩歌」が並んでいる。中村真一郎や杉浦明平の著作、杉山平一など四季派と縁の深い詩人の詩集が山ほどある。本棚はそれだけでもいっぱいなのに、そこにぼくの蔵書も入れ込もうとするのだから当然無理がある。読んだ本には愛着があるし、まだ読んでない本は捨てるわけにはいかない。困ったものだ。本棚を睨みながら、捨てられる本を探す。表紙が茶色になった文庫本だったらいいだろう。そう思い手に取るとジャン・コクトーの詩集だったり、禅宗の聖典とも言える「碧巌録」だったりする。ぼくが本を読めるのは長く見積もっても後10年だ。読める本の数は限りがある。「碧巌録」など読むわけがない。しかしだ。「碧巌録」の世界と縁を切るのは自分の知的世界を自ら狭める行為だ。読まなくてもあるだけで、世界を維持することだとも言える。こうなると、もう捨てられない。ああ!困った。
書棚の二段分ぐらいをやっとの思いで捨てることにした。
しかし、本を捨てるのは難しい。
新聞や雑誌は誰でも捨てる。同じ印刷物であっても、通りすがりのものだとわかっているからだ。
本は違う。一冊の本を書くためにどれだけの苦労があったか。一冊一冊に人生が籠っているのだ。本を捨てることはその人の人生と縁を断つことに等しい。
我が家の書斎は父が使っていたものだ。父の頭の中が本棚に展開されている言って良い。
立原道造や堀辰雄の全集があり、中央公論の「日本の詩歌」が並んでいる。中村真一郎や杉浦明平の著作、杉山平一など四季派と縁の深い詩人の詩集が山ほどある。
本棚はそれだけでもいっぱいなのに、そこにぼくの蔵書も入れ込もうとするのだから当然無理がある。
読んだ本には愛着があるし、まだ読んでない本は捨てるわけにはいかない。
困ったものだ。
本棚を睨みながら、捨てられる本を探す。表紙が茶色になった文庫本だったらいいだろう。そう思い手に取るとジャン・コクトーの詩集だったり、禅宗の聖典とも言える「碧巌録」だったりする。
ぼくが本を読めるのは長く見積もっても後10年だ。読める本の数は限りがある。「碧巌録」など読むわけがない。しかしだ。「碧巌録」の世界と縁を切るのは自分の知的世界を自ら狭める行為だ。読まなくてもあるだけで、世界を維持することだとも言える。こうなると、もう捨てられない。
ああ!困った。