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秋うららレジェンドに会ふ写真展

小山正見

向かって右側はぼくだが、左は髙野榮一先生である。髙野先生とは、港区の笄小学校で一年間だけお世話になった。
決断力があり、方針がぶれない。当時からすごい先生だなぁと尊敬していた。
先生の退職後も飲み会などに声がかかった。多くは当時の校長先生方の会だった。
声が掛かると答えは三つしかない。
「わかりました」
「喜んで」
「もちろんです」
可愛がられたと言って良いのかもしれない。
「先生、お幾つになられましたか」
と聞いたら
「89」
だと言う。お元気この上ない。
退職されてからカメラを始められた。
退職校長会の写真展が武蔵小杉であった。
先生の出品されている鴨川シーワールドの写真。波飛沫の捉え方が絶妙である。
この時も先生からカメラワークついて教えていただいた。楽しい時間だった。
ぼくが44歳の時、髙野先生は56歳だったのだから、差は12歳。89歳!一瞬驚いたが、考えてみれば当たり前だ。あれから30年以上経っているのだ。
笄小学校には、2年間しかいなかったが、思い出深い。
西麻布のど真ん中にあり、有名人の子どもも多かった。
平尾昌明の子がいたり、写真家の篠山紀信の子もいたりした。
PTAの集まりで可愛らしいお母さんが司会をしていた。
「あの人南沙織よ」
と誰かが教えてくれた。
クラスのお父さん方に声をかけて度々集まりを持った。「異業種交流会」になった。子供の話より仕事の話が面白かった。商社の方もいれば、第一線の官僚の方もいた。皆が各業種の先頭を走っている方々だった。中には某大使館の参事の方もおられた。中には今でも交際の続いている方もいる。
学校には、様々な職業の方がいる。その力を借りることができたら学校の力は大きくなる!と言う発想はこの時に生まれた。
笑ってしまうような事もあった。
「お授業中失礼します」
と放送が入るのだ。
「授業にまで「お」をつけることはないじゃないか」
学校の前の通りは一名「地中海通り」と言った。イタリアレストランが軒を連ねていたからだ。丁度バブルの頃だった。
時々、地下鉄で降りて西麻布を歩くことがある。笄小学校の校舎は当時のまま残っている。