俳句フォトエッセイ2025.09.05秋めかぬ末の神社の灯かな小山正見取材で川崎市の臨海部に出かけた。ゆっくり夕食を食べていたら、乗るべきバスを逃してしまった。「しまった」とは思ったが、「近くまで行くバスを探せばよい」と気を取り直した。スマートフォンの地図を見たら「臨港バス塩浜営業所」が近いことがわかった。そこにバスが来た。「塩浜営業所」行きだった。約20分。乗客は少なくなり、終点まで乗っていたのはぼく1人だった。「終点」やけに寂しい場所だ。そこで初めて気がついた。ぼくの乗っていたのは「市営バス」。市営バスが臨港バスの営業所に行くはずがない(笑)「あららら」同じ「塩浜」だからそんなに遠くはないだろう。スマートフォンに助けられた。場末の暗い道を更に20分歩いて、ようやく「臨港バス塩浜営業所」に辿り着いた。夜なのに蒸し暑く汗でぐっしょりになった。その途中にあったのが写真の神社である。こんなところにも神社があるのか!塩浜神明神社という。創建は1671年。と言うから歴史がある。江戸時代の元禄期である。境内には塩釜神社も祀られている。「この辺は製塩の地だったのか」工業地帯として埋め立てられる前の遠浅の海岸が目に浮かんだ。ぼくも江東区の塩浜に住んでいたことがある。するとあそこも塩田の地だったのかもしれない。神社だけではない。お稲荷さんや地蔵さんなど信仰の対象物はどこにでも数多く存在する。江東区に勤め、各学校を回って俳句教室を展開していた頃だ。できるだけ「歩く」ことを心掛けた。それもできる限り異なる道を通るようにした。時には江東区の端の有明から、また東大島から歩いて東陽町の役所まで帰ったこともある。お稲荷さんの多さに驚いた。果たせなかったが「お稲荷さん地図」を作ったら面白いだろうと思った。この夜の汗の成果は、24日(日)付けの東京新聞川崎版の「小山正見のかわさき俳句フォト」に反映されることになっている。機会があればお読みいただけると嬉しい。
取材で川崎市の臨海部に出かけた。
ゆっくり夕食を食べていたら、乗るべきバスを逃してしまった。
「しまった」
とは思ったが、
「近くまで行くバスを探せばよい」
と気を取り直した。
スマートフォンの地図を見たら「臨港バス塩浜営業所」が近いことがわかった。そこにバスが来た。「塩浜営業所」行きだった。約20分。乗客は少なくなり、終点まで乗っていたのはぼく1人だった。
「終点」
やけに寂しい場所だ。そこで初めて気がついた。ぼくの乗っていたのは「市営バス」。市営バスが臨港バスの営業所に行くはずがない(笑)
「あららら」
同じ「塩浜」だからそんなに遠くはないだろう。スマートフォンに助けられた。場末の暗い道を更に20分歩いて、ようやく「臨港バス塩浜営業所」に辿り着いた。夜なのに蒸し暑く汗でぐっしょりになった。
その途中にあったのが写真の神社である。こんなところにも神社があるのか!
塩浜神明神社という。創建は1671年。と言うから歴史がある。江戸時代の元禄期である。境内には塩釜神社も祀られている。
「この辺は製塩の地だったのか」
工業地帯として埋め立てられる前の遠浅の海岸が目に浮かんだ。
ぼくも江東区の塩浜に住んでいたことがある。するとあそこも塩田の地だったのかもしれない。
神社だけではない。お稲荷さんや地蔵さんなど信仰の対象物はどこにでも数多く存在する。江東区に勤め、各学校を回って俳句教室を展開していた頃だ。できるだけ「歩く」ことを心掛けた。それもできる限り異なる道を通るようにした。時には江東区の端の有明から、また東大島から歩いて東陽町の役所まで帰ったこともある。
お稲荷さんの多さに驚いた。
果たせなかったが「お稲荷さん地図」を作ったら面白いだろうと思った。
この夜の汗の成果は、24日(日)付けの東京新聞川崎版の「小山正見のかわさき俳句フォト」に反映されることになっている。機会があればお読みいただけると嬉しい。