俳句フォトエッセイ2025.11.02秋霖にか細き東京タワーかな小山正見久しぶりに六本木に出た。懐かしい。昔を懐かしむのは老いた証拠だろうか。ぼくは、45歳から47歳までの3年間飯倉交差点脇にある港区立麻布小学校の教頭を務めた。丁度オウムによるサリン事件があった頃だ。六本木の街の雰囲気は昔と同じだ。交差点のアマンドはそのままだし、和菓子の青埜もそのまま残っている。青山ブックセンターは名前を変えて健在だ。しかし、麻布警察署は姿を消していたし、六本木の象徴と言えるロアビルはそろそろ閉鎖に向かって動いているようだ。六本木には日本初と言われるハンバーガーの店「ザ•ハンバーガーイン」があったがストレッチの店に変わっていた。何より変わったのは麻布台ヒルズである。麻布小学校時代、ぼくは毎日校庭のど真ん中に見える東京タワーを見て過ごした。麻布台ヒルズはその視界を全て奪ってしまったようだ。麻布小学校は「小さなおうち」のようにビルの谷間に埋もれていた。通勤には、地下鉄神谷町の駅から我善坊の谷筋をのぼったのだが、その谷筋の道そのものがなくなっていた。代わりに高級なブティックが並ぶビルが連なっていた。麻布小学校の校舎は昔のままだった。白い壁の三階建だ。研究発表会をした翌日大雪が降り、一人で雪掻きをしたことが良い思い出だ。毎日午後3時になると右翼の宣伝カーが大音量の君が代を流しながら校舎の前を通った。ロシア大使館がすぐそばにあるからだ。校舎には「150周年」の横断幕が掲げられていた。ぼくがいた時は120周年だった。30年が経ったのだ。
久しぶりに六本木に出た。懐かしい。昔を懐かしむのは老いた証拠だろうか。
ぼくは、45歳から47歳までの3年間飯倉交差点脇にある港区立麻布小学校の教頭を務めた。
丁度オウムによるサリン事件があった頃だ。
六本木の街の雰囲気は昔と同じだ。交差点のアマンドはそのままだし、和菓子の青埜もそのまま残っている。青山ブックセンターは名前を変えて健在だ。
しかし、麻布警察署は姿を消していたし、六本木の象徴と言えるロアビルはそろそろ閉鎖に向かって動いているようだ。
六本木には日本初と言われるハンバーガーの店「ザ•ハンバーガーイン」があったがストレッチの店に変わっていた。
何より変わったのは麻布台ヒルズである。
麻布小学校時代、ぼくは毎日校庭のど真ん中に見える東京タワーを見て過ごした。麻布台ヒルズはその視界を全て奪ってしまったようだ。
麻布小学校は「小さなおうち」のようにビルの谷間に埋もれていた。
通勤には、地下鉄神谷町の駅から我善坊の谷筋をのぼったのだが、その谷筋の道そのものがなくなっていた。代わりに高級なブティックが並ぶビルが連なっていた。
麻布小学校の校舎は昔のままだった。白い壁の三階建だ。
研究発表会をした翌日大雪が降り、一人で雪掻きをしたことが良い思い出だ。
毎日午後3時になると右翼の宣伝カーが大音量の君が代を流しながら校舎の前を通った。ロシア大使館がすぐそばにあるからだ。
校舎には「150周年」の横断幕が掲げられていた。ぼくがいた時は120周年だった。30年が経ったのだ。