俳句フォトエッセイ2025.09.11警官の顔に吹き出す玉の汗小山正見公園の柵に腰掛け、昼食を取っていた。あまり食欲はない。研修会の開始時刻が迫っていたので千代田寿司で干瓢巻きを買ったのだ。そこに警察の車両が止まり、警官が二人降りてきて、何やら調べている。どうやら事故があったらしい。ぼくにも「何か見ませんでしたか」と聞いてきた。この暑さで、警官の顔には既に玉の汗だ。「大変だなぁ」素直な感想だ。思わず「ご苦労様」と声をかけた。学生時代を思い出した。大学紛争の最中で、ぼく自身も若くて生意気だった。大学キャンパスから当時住んでいた学生寮に変える途中だ。時刻は午前2時頃である。警官に呼び止められた。「どこに行くんだ?」「そっちに行くんだ」「どこからきたんだ?」「あっちから来た」押し問答が40分ほど続いた。当然だが、通行人はいない。少し怖かった。警官は最後に「覚えてろよ」と捨て台詞を吐いて去っていった。そういう時代だった。だから警官に出会うと身構えてしまうのだが、この歳になってようやくそのトラウマから抜け出せたようだ。そう言えば、父の正孝に警官とのやりとりを題材した詩がある。夕方の田園調布と題する詩である。夕方の田園調布 小山正孝僕が石柱の門札をのぞきこんでゐるとパトカーが止まつて 一人の警官が下りて来た「どちらかお探しですか」「いや別にさういふわけではない」僕はそつぽを向きながらさう言つて歩みをつづけた行きながらしばらくたつて(あれは親切だつたのかもしれないな)僕はそんな反省もしたふと振り向くと坂を下りて来るさつきの警官の姿が見えた「あなたはオオタカオルさんですか」さう言はれて僕は「ちがひます」とは言はなかつた「その人はどういふ人ですか」「家出人です」「そのオオタといふ人は僕のやうに黒い帽子をかぶり大きいカバンを持つてゐるのですか」「本署からの手配によるとさうなのです」「あなたは黒い帽子をかぶり大きなカバンを持つてゐる人はみんなオオタカオルだといふのですか」「冗談ぢやない」警官と僕は長い時間睨みあつて立つてゐた「尾行は勝手にしたらいいのだ無線で連絡しあつたらいい白線の外を歩いたら道路交通法でひつかけたらいい僕のやうな年頃の老人はやたらに警官なんかに語しかけられたくないんだ予供の頃悪いことをするとお巡りさんが来るよと言つて育てられてゐる青年の時代は 人間として当然の思想を持つただけでブタ箱に入れられるといふおそろしい思ひもした日本特高警察史をひもといてみたまへ」僕は「ひもとく」といふ古語を使つた桜の大木は枝を路上まで伸ばしてゐた傷んで変色した葉を路上に降らしてゐた「君はコーヒーをのみに行く一人の老人の散歩を滅茶滅茶にした」ああ 夕方の田園調布若い警官とは握手して別れたグローブのやうな大きな手をしてゐたしかし考へてみればああ タ方の田園調布曲り角の小さな旅館で僕は二時間の情事を持つたことがある心の中の警官がいまも僕を追跡してゐるやうな気もする桜の大木は枝を路上まで伸ばしてゐる傷んで変色した葉を路上に降らしてゐこの詩を改めて読むと、どうやら父の方が筋金入りのようだ。
公園の柵に腰掛け、昼食を取っていた。あまり食欲はない。研修会の開始時刻が迫っていたので千代田寿司で干瓢巻きを買ったのだ。
そこに警察の車両が止まり、警官が二人降りてきて、何やら調べている。
どうやら事故があったらしい。
ぼくにも「何か見ませんでしたか」と聞いてきた。
この暑さで、警官の顔には既に玉の汗だ。「大変だなぁ」素直な感想だ。思わず「ご苦労様」と声をかけた。
学生時代を思い出した。大学紛争の最中で、ぼく自身も若くて生意気だった。
大学キャンパスから当時住んでいた学生寮に変える途中だ。時刻は午前2時頃である。
警官に呼び止められた。
「どこに行くんだ?」
「そっちに行くんだ」
「どこからきたんだ?」
「あっちから来た」
押し問答が40分ほど続いた。当然だが、通行人はいない。少し怖かった。
警官は最後に
「覚えてろよ」
と捨て台詞を吐いて去っていった。
そういう時代だった。だから警官に出会うと身構えてしまうのだが、この歳になってようやくそのトラウマから抜け出せたようだ。
そう言えば、父の正孝に警官とのやりとりを題材した詩がある。
夕方の田園調布と題する詩である。
夕方の田園調布 小山正孝
僕が石柱の門札をのぞきこんでゐると
パトカーが止まつて 一人の警官が下りて来た
「どちらかお探しですか」
「いや別にさういふわけではない」
僕はそつぽを向きながらさう言つて歩みをつづけた
行きながらしばらくたつて
(あれは親切だつたのかもしれないな)
僕はそんな反省もした
ふと振り向くと
坂を下りて来るさつきの警官の姿が見えた
「あなたはオオタカオルさんですか」
さう言はれて僕は「ちがひます」とは言はなかつた
「その人はどういふ人ですか」
「家出人です」
「そのオオタといふ人は僕のやうに黒い帽子をかぶり大きいカバンを持つてゐるのですか」
「本署からの手配によるとさうなのです」
「あなたは黒い帽子をかぶり大きなカバンを持つてゐる人はみんなオオタカオルだといふのですか」
「冗談ぢやない」
警官と僕は長い時間睨みあつて立つてゐた
「尾行は勝手にしたらいいのだ
無線で連絡しあつたらいい
白線の外を歩いたら道路交通法でひつかけたらいい
僕のやうな年頃の老人はやたらに警官なんかに語しかけられたくないんだ
予供の頃悪いことをするとお巡りさんが来るよと言つて育てられてゐる
青年の時代は 人間として当然の思想を持つただけでブタ箱に入れられるといふおそろしい思ひもした
日本特高警察史をひもといてみたまへ」
僕は「ひもとく」といふ古語を使つた
桜の大木は枝を路上まで伸ばしてゐた
傷んで変色した葉を路上に降らしてゐた
「君はコーヒーをのみに行く一人の老人の散歩を滅茶滅茶にした」
ああ 夕方の田園調布
若い警官とは握手して別れた
グローブのやうな大きな手をしてゐた
しかし考へてみればああ タ方の田園調布
曲り角の小さな旅館で僕は二時間の情事を持つたことがある
心の中の警官がいまも僕を追跡してゐるやうな気もする
桜の大木は枝を路上まで伸ばしてゐる
傷んで変色した葉を路上に降らしてゐ
この詩を改めて読むと、どうやら父の方が筋金入りのようだ。