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護摩焚ひて五月詣の読経かな

小山正見

五月は、俳句の教員研修の依頼が多かった。今日の学校で五校だ。
教員研修はぼくにとってはとても面白く、好きな仕事である。先生方との掛け合いの漫才をするようなものだからだ。
これには、歳の差が大きい。年配の校長先生でもぼくより一回り以上年下だ。若い先生など、子供か孫のようなものだ。そうなると怖いもの無し。
本物の子供への授業はこちらが気を遣わなければならないことが多いが、先生方は話をちゃんと聞いてくれるし、子供へほどの配慮は必要がない。
ぼくの研修会は、授業そのもの。勝手に先生方を指して、答えを求める。その時の先生方の顔を見るのが楽しい。すごいなと思うのは、無理難題の問いに対しても何とか答えを捻り出すことだ。答えの正否は別にして、これは教師として求められる一つの能力だと思う。
研修会の内容は、大きく分けて四つある。
一つは、江東区と俳句の歴史である。第二は、教材としての俳句の力、効果についてである。三番目は、誰でもできる俳句指導のテクニック。そして最後は先生方の実作だ。
毎年行っている学校では、そのうちの幾つかを省いたりすることもある。
先日の学校では、「人生は」とおいて俳句を作ってもらったが、今回は「生きるとは」の題で俳句作りをした。
谷川俊太郎の有名な詩に「生きる」がある。確か光村図書の6年の教科書に掲載されている。
・・・・生きているということ/いま生きているということ/それはミニスカート/それはプラネタリウム/それはヨハンシュトラウス/・・・すべての美しいものに出会うということ・・・・  というような詩だ。
というわけで「生きる」は先生方に馴染みのある言葉だ。
できた俳句をいくつか紹介しよう

生きるとは受け入れること冷蔵庫
生きるとは伸びて広がる夏の山
生きるとは君と見上げる夏の空
生きるとは笑って泣いて梅雨晴れ間
生きるとはしゃべり合うことあまがえる
生きるとはおまけがいっぱい笛ラムネ
生きるとは息子と登る高尾山
生きるとはひげが気になる夏の朝

なかなかのものだ。

研修が終わって少し時間があったので、深川不動尊に行くことにした。
不動尊では、毎日五回護摩祈祷が行われている。
始まるには時間があったが、もう多くの人が座って待っている。外国人の姿もある。
始まる前に僧侶が「ここは信仰の場ですから・・・・」と注意事項を述べる。写真を撮ることなどは禁止事項だ。
背筋を正して、手を合わせる。
護摩行は、法螺貝の音から始まる。太鼓が叩かれる。割れんばかりの音だ。読経は荘厳で美しい音楽のようだ。その中に護摩を焚く炎が高く舞い上がる。まるでショーのようだ。
ひとときの癒しを得て外に出ると夕方の気配が濃くなっていた。