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俳句フォトエッセイ

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向日葵の明日明後日の命かな

青山フラワーマーケットの店頭である。まだ、向日葵の花が見事に咲いているが、もう直ぐ店頭から姿を消すようだ。ぼくの印象に残っている向日葵は校庭の花壇の向日葵だ。背がぐんぐん伸び見上げるぐらいになる。枯れてもしばらくの間立ち尽くしている。この向日葵はロシア向日葵というらしい。向日葵の原産地は北米。元々は、食用や油を取るために栽培された。それがロシアに渡り、更に品種改良がされたらしい。映画「ひまわり」に出てくるウクライナの広大な向日葵畑がそれである。ところが、一方では、観賞用としても品種改良が進められた。レモン色やオレンジ色の向日葵があるのもそのためだ。

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この月をコーンムーンと学びし夜

帰りがけ、屋根の上に見事な満月が出ていた。思わず見惚れ、「中秋の名月の1ヶ月前の月だなぁ。この月にも名前がついているのかしら?」と思った時、昼の「梓」(俳句結社代表上野一孝)の句会で、Aさんが話をされていた「コーンムーン」を思い出した。この言葉はアメリカ先住民の風習に基づくものらしい。「これが、コーンムーンっていうやつか」Aさんというのは、一緒にこどもたちへの俳句指導をしてきた仲間だが、とんでもない能力の持ち主だ。企画力や実務能力も抜群なのだが、自然への造詣が半端でない。Aさんに聞けば、大概の植物の名前はわかるし、鳴き声で鳥の名前も知ることができる。

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文豪の石に残りぬ暑さかな

この座っている石を「文豪の石」と言うらしい。場所は根津神社。「文豪の」とは鴎外と漱石を指す。嬉しかったのは、尊敬するT先生とお会いできたことだ。T先生とは江東区の俳句の授業を共にした仲だ。今でも毎月幾つもの句会を主宰されている。文学教育の大家でもある。思いがけなかった。T先生は、足を痛めておられる中、無理して出てきてくれたのだ。日本学校俳句研究会の谷根千吟行会。恒例になり、今年で3回目だ。最初の時は、行列して谷中のらかき氷を食べた。鴎外記念館に行ったこともある。そして、今年は根津神社と弥生美術館にいった。弥生美術館には竹久夢二美術館が併設されており、むしろこちらがメインだ。

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通勤の自転車並び草の絮(わた)

武蔵野線の三郷駅である。ぼくの住んでいる元住吉からはずいぶん遠い。この三郷に月に一度通っている。認知症対応のディサービスで皆さんと一緒に俳句を楽しむ会をしているのだ。参加者は20人弱。簡単に言えば、参加者の方々の口から出た言葉を五・七・五の形に整えて、作品化し共有する。瞬時に整えるのは難しいが、こども俳句の経験が生きてくる。約一時間でこの日は60句ぐらいできた。「暑かったねぇ。残暑だね。何してた?」「何もしてないよ。グダグタしてただけ」★何もせずグダクダしてた残暑かな「私は昔はテニスやってたの」★暑くてもテニスやってる残暑かな笑って答えない人いる。

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乱れ萩しとどの雨の金曜日

今日は、江東区の某小学校の俳句研修会に伺う予定でいたが、台風の影響で延期になった旨、連絡があった。写真は、我が家感泣亭の前に繁茂している萩である。この萩は、句集『大花野』の句萩咲かせ昔の家に戻しけりの萩である。この場所には、昔から萩が咲き乱れていた。その萩がスペースの工事で途絶えてしまったのを復活させたのである。昔の萩は、坂口昌明さんが長野からわざわざ持ってきてくれたものだった。そして今日9月5日は、その坂口さんの命日である。坂口さんは、猛烈な知識の持ち主で、想像を絶するほどの集中力を有している方だった。

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雨を呼ぶ秋夕焼の赤き雲

夕焼けの色が毎日異なることに気がついたのは、俳句を始めてからだった。都会にも花がたくさん咲き、自然に満ちていることも、俳句にたしなむようになって初めて意識した。それまでも、ぼくはちゃんと生きてきたと思うが、いつ桜が咲き、いつ散ったかも意識をしない生活をしていた。ある意味「模範的なモーレツ人間」だった。「24時間戦えますか」のコピーを何の違和感も無く受け入れていた。生きるとはそういうことだと思っていた。近代以降の社会は「目標」社会である。目的を持ち計画を立て実践する。学校では嫌というほど、この考え方が叩き込まれる。教育目標に始まり、学年目標、週目標、果ては給食にまで目標がある。

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八名川は聖地の一つ秋高し

「聖地」というのは、僕にとってのという意味である。江東区立の八名川小に赴任したのは21年前のことである。6年間在籍したが、その後もなんだかんだと出入りしている。八名川小の靴箱にはまだぼくの名前が残されている。この八名川町の古地図、実は東京駅の「銀の鈴」のある床にプリントされているものだ。新大橋の位置は今とは違っているように見える。現在は「八名川町」という地名はなく、常盤町や新大橋になっている。「八名川」の地名が残っているのは、小学校とその隣の八名川公園だけである。その八名川小に赴任して最初に掲げたスローガンは「ワンランク上の教育」というものだった。丁度、学校選択制が始まった頃である。

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蕃茄(とまと)添へザクザク野菜炒めかな

蕃茄と書いて「とまと」と読むとは!歳時記を見て初めて知った。角川の歳時記に飯田蛇笏の次の句が載っている。白昼のむら雲四方に蕃茄熟る蛇笏買ってきたミニトマトがちっとも美味くない。「食えないな」と思ったが、野菜炒めに入れてみたら美味しかった。彩りも良い。最近、「少しでも自炊をしなくては」と思い始めている。もう古稀も過ぎたし、喜寿すら過ぎたのだからいつ死んでもいいようなものだが、まだ暫くは死ねない事情もある。父が亡くなったのは、86歳だった。これが目安だが、この夏に病院に行ってこの目標が微妙だということがわかった。一番の問題は腎臓だ。

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電線の影の溶けたる残暑かな

9月に入ったのに暑い。日傘を差して出かけた。ふと振り返ったら、電線の影が見えない。一瞬ギョッとした。単に太陽光線の角度がずれて道に影が写っていないだけなのだが(笑)。影が溶けたのかと思った。自分の中の暑さの記憶を辿ってみた。子供の頃、汗をかいた記憶はあるが「暑い」という形での記憶はない。子供は暑さを感じないのだろうか。ぼくにとっての「暑さ」の記憶は、東京の気温が初めて39°Cを超えた1994年が一つ。この年、ぼくは西麻布の学校に勤務していた。冷房のない教室で毎日汗を流していた。歩道の壁の熱さに驚いた。二つ目はモンゴル旅行である。草原では馬が頭を寄せ合い、陰を作り合っていた。

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敬虔(けいけん)に祈りて秋の恵みかな

東京室内声楽アンサンブルの第25回定期演奏会。場所は東京・狛江のエコルマホールである。暑い土曜日の午後だった。自分から音楽を聴きに行くことはないが、従姉妹の家族が出演するということで出かけた。目的の一つは久しぶりに従姉妹の顔をみることだった。700人は入ろうかと思えるホールはほぼ埋まっている。東京の何処に行ってもこうしたホールがあり、催しが行われている。東京は文化都市なのだと改めて思う。写真は、当日のパンフレットの表紙である。ペルゴレージの「聖母マリアの夕べの祈り」がこの日の演目であった。合唱団が時間を掛けて積み上げてきた成果が試される。会場にソプラノ歌手の美しい声が響く。