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俳句フォトエッセイ

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蕊伸ばしいよいよ妖し曼珠沙華

今年の曼珠沙華は例年より遅かった。暑さのせいだと言われている。しかし、その曼珠沙華もそろそろ終わりだろう。夏の間、曼珠沙華は地下茎しかない。秋になると急速に茎が伸び始め、お彼岸の頃には花盛りになるので、彼岸花とも呼ばれる。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の名前はサンスクリット語から来ている。仏教では、吉事があると天上から降るとされる花の一つとされ、「天上の花」と言う意味があると言う。俳句の世界でも曼珠沙華は様々に詠まれてきた。山口誓子の「突き抜けて天上の紺曼珠沙華」や森澄雄の「西国の畦曼珠沙華曼珠沙華」などは特に有名だ。おめでたい花で天蓋花と呼ばれる一方、死人花とか幽霊花など縁起でも無い異名もある。

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金色の透けるが如く女郎花

女郎花(おみなえし)とは、こんな綺麗な花だったのか!とびっくりした。俳句を始める前は、これが一体なんの花か知らなかったし、知ろうとも思わなかった。セイタカアワダチソウの親戚ぐらいにしか思わなかったかもしれない。女郎花はご存知のように秋の七草の一つである。万葉集での山上憶良の秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花萩の花尾花葛花瞿麦(なでしこ)の花女郎花また藤袴朝貌(あさがお)の花この二首の歌を見れば秋の七草は分かる。朝貌の代わりに桔梗を入れたりもする。尾花とは薄(すすき)のことである。すすきの穂が動物の尻尾に似ていることから「尾花」の名前がついた。

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灯の点りやうやく秋のほのかかな

グループホームで妻と面会した帰り道。国際交流センターの庭に灯が点っていた。妻がグループホームにお世話になってまる四年だ。今年になってからは寝たきりの状態。ほとんど応答はない。しかし、今日は肩を揉んで「気持ちいい?」と声を掛けると僅かにうなづいた。ホームの職員の方が「今朝は食欲がありましたよ」とにっこりして話しかけてくれた。昨日は認知症の人と家族の会の小さな会合に参加した。この会を知ったのは2年ほど前、NHKのテレビ番組であった。すぐに連絡を取り会員になった。この「認知症の人と家族の会」は1980年に結成され、全国47都道府県に支部を持ち会員は1万1千人にのぼると言う。

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タクシーにふんぞり返り秋うらら

武蔵野線の三郷駅前である。ぼくは、毎月一度ここからタクシーに乗る。ふれあい早稲田診療所に向かうためである。ここで、認知症デイサービスの利用者さんの俳句教室を行なっているからだ。一番緊張する時間だが、みんなと一緒に笑いまくる。終わると楽しい。この日は、秋田では熊鍋を食う秋日和この日だけ孫が支払う敬老日などの句が生まれた。秋の夜はすぐ寝ちゃう巨人負けたからの句にはみんな爆笑!タクシーに乗っている時間はわずかなものだ。料金は700円だが、タクシーを利用すると自分がお大尽になった気分になる。車をやめたのは15年前だ。車を所有していると経費がかかる。車代に加えて、保険料や車検、駐車場代も必要になる。

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雨粒を纏ひて萩の溢れをり

雨の中の萩は、一層風情を増すように思える。葉に雨粒が丸く浮かんでいる。朝起きたら、一面に萩がこぼれ無数の花が散っていた。芭蕉の「奥のほそ道」に一つ家に遊女も寝たり萩と月がある。市振という宿で遊女に「旅の道連れにしてくれないか」と頼まれる有名な場面だ。この句については、芭蕉の創作ではないかという説が有力である。いかにも出来すぎているからだろう。その証拠は同行した曾良の日記には一言も触れられていないということらしい。俳句は全て事実というわけでは無さそうだ。それにしても上手い。萩が出てくることで、遊女の哀しさがほのかに感じられる。

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秋の水羽を震はす鳩の群

季語でいう「秋の水」とは、本来きれいで澄み切った水を指す。夏の間はプランクトンなどの微生物が繁殖して、水は濁っているが、秋になると水温が下がる。微生物の繁殖も下火になり、水が澄む。こうした現象を元にした言葉が「秋の水」という季語だ。「水の秋」とひっくり返せば、そうした美しい水をたたえる秋という意味になる。日本語の不思議は言葉に情緒が結びついていることだ。同じ風でも「春風」と言えば何となくうきうきする。逆に「秋風」と言うとほのかな寂しさとか悲しさが感じられる。俳句がたった十七音で詩になり得るのは、こうした日本語の特徴によるものかもしれない。鳩が羽を震わしているのは、実は水浴びをしているからだ。

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雑踏を横目に虫の声虫の声

ふと虫の声が聞こえた。確かに虫の声だ。「こんなところで」街のど真ん中、雑踏の中だ。どうやら、道路ぎわの花壇からのようだ。「都会の真ん中に虫がいるのか」不思議な気分だった。俳句では、「虫」とは秋の鳴く虫のことを指す。鈴虫とかコウロギとかキリギリスのことだ。子供の頃は、虫籠に入れて飼ったこともあった。コオロギの「コロコロ」として柔らかい鳴き声も好きだが、鈴虫の澄み渡った声は何とも言えない。平安貴族は、虫の声を風流なものとして楽しんだ。中国や韓国にも日本と同じような習慣があるらしい。街は人間が支配していると考えたら間違いだ。アスファルトの隙間から草が生え、夜になれば虫の声が聞こえる。

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シャンソンの溢(あふれ)こぼるる秋の午後

都営地下鉄の森下の駅から徒歩1分。音楽喫茶サンメイトである。この日はオーナーの桜彩さんのソロコンサートだった。ご招待を受け、参加させていただいた。桜彩さんのコンサートにはコロナのずっと前に伺ったことがある。その時は上野で、妻と二人だった。伴奏のピアノは岩崎大輔さんだ。若くして米国ボストンのバークリー音楽院に留学された。帰国後はジャズを中心に演奏活動をされ、ポピュラーの作曲、編曲をはじめ、幅広い活躍をされた方だ。11月の岩崎さんのディナーショーのチケットは既に完売だという。コンサートは、その岩崎さんの「枯葉」の演奏から始まった。一瞬で聞き惚れてしまった。

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垂藁の太し逞し豊の秋

何だかスズメバチか何かの巣のようだが、これは注連縄から下がっている「垂藁」(たれわら)である。よく紙で作られた「紙垂」(しで)が下げられている(写真奥)がここでは、太く藁で編まれている。紙垂も垂藁もこの先が神域であることを示し、清めや魔除けの役割を果たす。垂藁は五穀豊穣の象徴としても用いられる。ここは、鎌倉の八雲神社だ。鎌倉駅から歩いて十分ほどの距離にあるが、喧騒とは無縁、境内は木々に囲まれ本来の鎌倉らしい落ち着いた雰囲気がある。面白いのは、大きな楠の根元に大きな石が二つ置かれていることだ。この石を新羅三郎の手玉石というらしい。

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何事も無きかの如く曼珠沙華

今年も曼珠沙華が咲いた。しかし、例年より遅い。曼珠沙華は別名彼岸花と呼ばれる。お彼岸の時期に丁度花盛りになるからだろう。「十日の菊」ではないが、お彼岸に間に合わない彼岸花は少々魔が抜けているように思う。しかし、曼珠沙華の方はそんなことお構いなしだ。秋空に赤い花を輝かせている。突き抜けて天上の紺曼珠沙華山口誓子を知ったのは俳句を学び始めてすぐの頃だ。実に巧みな描写だ。紺に対比される曼珠沙華の赤が鮮やかに浮かびあがる。(書いてないのに!)歯切れが良く格調がある。すっかり気に入った。森澄雄の西国の畦曼珠沙華曼珠沙華も好きだ。にも関わらず、ぼくは曼珠沙華という花を好きになれない。