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俳句フォトエッセイ

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梅雨近ししばられ松の摩訶不思議

向ケ丘遊園から梶ケ谷に向かうバスに乗った。東急バスの路線で、系統番号は「向01」。ふと、路線図の中に「しばられ松」というバス停を見つけた。なぜ縛られているのか-。その奇妙な名前が頭に残っていた。先日、友人から「昔ばなしを語ろう会・かわさき」の朗読会に誘われた。この会は「昔ばなし大学」を全国で開講されてきた多摩区在住の口承文学者、小澤俊夫さん(世界的指揮者である故・小澤征爾さんの兄上)の活動に刺激されて生まれたという。その日、会場の多摩区役所生田出張所には20人近くが集まっていた。そこで朗読された話の一つが、あのしばられ松の昔話だった。しばられ松は昔から語り継がれてきた民話の主人公だった。

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廃屋を喰ひ始めたり青き蔦

散歩の途中である。改めて、しげしげと眺めてしまった。まだ古い家ではない。意匠をこらし、お洒落な一軒家である。誰も住んでいないことは、明らかだ。白く塗られた家を青蔦がぬめぬめと這い上がっていく。飲み込まれてしまうのは、時間も問題であるかのようにも感じられる。廃墟ツアーというのが、あるそうだが、ぼくが見た無惨な廃墟の一つは、長崎の軍艦島だ。軍艦島の名称は、外観が戦艦「土佐」に似ているところからついた。20世紀前半は質の良い石炭が取れることから大いに採掘が進んだ。「端島炭鉱」と呼ばれた。高層の住宅が作られ、1960年頃には、5000人が住んだと言われる。それが、エネルギー政策の転換で廃坑になった。

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梅雨晴れ間縄文人にまみえたり

上野駅で降り、上野公園への階段を上る。かつてこの場所には、似顔絵描きのキャンバスが並んでいた。テレフォンカードを売り買いする外国人がいたこともある。今は静かだ。広場に向かう桜並木はすっかり葉桜になっている。公園の広場では、フィリピンエキスポ2025というイベントが行われていた。屋台が並び、5人組の女の子のグループが舞台でマイクを握っている。しかし、それを見に来たわけではない。国立科学博物館(科博)の「古代DNA-日本人のきた道-」と題する特別展が目的である。科博に勤めている友人に招待券をいただいている。見逃す手はない。

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葛切は新婚の味京の味

昨日はさくらんぼだったが、今日は葛切だ。三代目茂蔵という豆腐が安くて美味い店がある。埼玉の春日部が本拠地で、関東を中心に400店以上が展開されている。ここで葛切を売っていた。税込で183円だった。葛切には思い出がある。僕ら(私と邦子)が結婚したのは1972年の6月だった。二人とも24歳だった。神楽坂にあった都立教育会館で結婚式をあげ、新婚旅行は京都だった。俵屋に次いで名高い炭屋という高級旅館に泊まった。随分気張ったものだ。その時に食べたのが祇園四条にある鍵善良房の葛切だった。高級旅館で懐石料理も食べたはずだが、まるで覚えていない。覚えているのは鍵善の葛切だけだ。

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頂きぬ初物となるさくらんぼ

小ぶりだが、輝くさくらんぼをいつもお世話になっているOさんに頂いた。佐藤錦だ。さくらんぼには、紅さやかや高砂など多くの品種があるが、佐藤錦は、その中でも高級品だ。6月の中旬が収穫時期なのでこの時期のさくらんぼは、更に高値だろう。ありがたく頂戴した。ぼくにとってさくらんぼは、特別の意味がある。句集『大花野』に「あなたのは」とばかり訊く妻さくらんぼ正見の句があるからだ。この句を最初に取り上げてくれたのは、俳人の長谷川櫂氏である。読売新聞に毎日連載されている「四季」には、次のように記されている。「十年前、妻がアルツハイマー型の認知症と判明。外に出れば道に迷う。家の中でも迷子になる。

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恐らくは未央柳(びようやなぎ)と思ひたり

空はすっかり梅雨の様相になっている。道端の紫陽花がますます色付いてきた。紫陽花の青は、梅雨空に美しく映える。しかし、この時期に美しいのは紫陽花ばかりではない。山帽子や梔子(くちなし)などの花の白も印象的だ。山法師は「白」とばかり思い込んでいたら、葉と同じような薄緑色の花もあると知った。白よりも水浅葱なる山法師正見梔子は、一重も八重もある。白一色も美しいが、朽ちかけて茶色が混ざった花の方が風情を感じる。「くちなしの花」と言えば、ぼくにとっては渡哲也だ。若い子はまるで知らない。

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らぁ麺の新しき店六月来

開店に向けて最後の仕上げだ。見事な絵ができあがっていく。この場所は、ずっと、ずっとラーメン屋だった。しかし、どのラーメン屋も長続きしない。約一年前に開店した「齊藤」の評判はよかった。最初は行列ができるほどだった。外装も内装もお金を掛けていて、覚悟が感じられた。それまでの店のチープさとは一線を画していたように感じられた。そこそこ、人気もあったと思う。この一年の間に「なぎちゃんラーメン」「町田商店」の二軒の新しいラーメン屋が開店した影響もあるが、こんなにあっけないものかと思うほど、あっけない閉店だった。そこにできたのが「燈花」だ。どうやらチェーン店らしい。

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この先は進入禁止五月尽

明日から六月だというのに、寒い一日だった。半袖の子がいる一方、ダウンを着込んでいる人もいる。進入禁止の道路標識を見て「自分の人生で前を塞がれたことがあったか?」と振り返ってみた。高校の受験は一校だけ受けたが、無事に合格した。背伸びしなかったからだろう。大学も浪人せずに入学した。教師になるつもりもなかったのに、教育学部に入った。入りさえすればどこでもよかったのだ。授業には碌に出なかったのに、四年で卒業できた。最小限の単位しか取っていなかった。要領は良かったのだろう。それでも結局教師になり、24歳で結婚した。30歳で子どもが産まれ、45歳で教頭になった。50歳で校長になり、12年間勤めあげた。

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走り梅雨心を癒す珈琲屋

ぼくの住んでいる元住吉の唯一の本屋だった「住吉書房」が無くなって、本と自然に触れることができなくなった。もう一つ困ったことは文房具も買えなくなったことだ。住吉書房は文房具屋も兼ねていたからである。タックシールが必要になった。何処に買いに行こうか。日吉や自由が丘にも売っている店はありそうだ。しかし、行ってもし無かったら出直しになってしまう。渋谷の東急ハンズなら絶対ある。そこで渋谷まで出かけた。渋谷の雑踏はぼくは嫌いではない。あのごった返すような雰囲気。騒音が宇宙背景放射のように迫ってくる。崩れた若さが四方八方に飛び散っている。

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護摩焚ひて五月詣の読経かな

五月は、俳句の教員研修の依頼が多かった。今日の学校で五校だ。教員研修はぼくにとってはとても面白く、好きな仕事である。先生方との掛け合いの漫才をするようなものだからだ。これには、歳の差が大きい。年配の校長先生でもぼくより一回り以上年下だ。若い先生など、子供か孫のようなものだ。そうなると怖いもの無し。本物の子供への授業はこちらが気を遣わなければならないことが多いが、先生方は話をちゃんと聞いてくれるし、子供へほどの配慮は必要がない。ぼくの研修会は、授業そのもの。勝手に先生方を指して、答えを求める。その時の先生方の顔を見るのが楽しい。